2015年7月31日  
 

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中国残留孤児、中国人養父母からもらった愛を次世代に

抗日戦争勝利70周年インタビューシリーズ第4期

人民網日本語版 2015年07月23日15:36

 桜前線が通り過ぎ、初夏を迎えた宮城県では、気温が徐々に上がっていた。

 宮城県名取市に住む中国残留孤児の佐藤信子さん(71)の取材に向かう道すがら、目に入ったのは、木造住宅、丁寧に刈り込まれた植木など、典型的な日本の街並だった。ここに暮らす中国人女性・唐麗忠さんからの紹介により、佐藤さんへの取材が実現した。人民網が伝えた。

 残留孤児の佐藤さんは、30年前に日本に帰国したという。素朴で親しみやすい人柄で、東北地方なまりの流暢な中国語を話すため、一瞬、中国の東北地方に来たような感覚を覚えた。佐藤さんと唐さんはいずれも中国東北地方出身で、同じような家庭的背景を持つことから、交流を深めてきたという。唐さんは佐藤さんのことを親しみをこめて「老娘(お母さん)」と呼ぶ。

 取材を受けるのが初めてという佐藤さんは、カメラを前にやや緊張していた。取材中に、向かいに座った唐さんに何度も話を振るので、結局唐さんにも取材に加わってもらうことになった。まるで「世間話」をするような形で取材は進められた。

 佐藤さんは厳密に言うと「孤児」ではない。中国人養父母に引き取られた時、佐藤さんの実母と兄は2里(約1キロ)離れた隣村に暮らしていた。両親は共に日本人で、日本で結婚した後、すぐに「開拓団」に参加し、黒竜江省慶安県に向かい、そこで佐藤さんとその兄をもうけた。

 日本の敗戦直前、佐藤さんの父は徴兵され、敗戦後はシベリアに送られた。佐藤さんの母は生後間もない佐藤さんを中国人夫婦に預けた後、佐藤さんの兄を連れ、中国人男性と再婚したという。佐藤さんの母は中日国交正常化後に日本に帰国し、取材の1週間前に亡くなった。99歳だった。佐藤さんは「非常に穏やかな死だった。中国では100歳近くまで生きた老人の死は『喜喪』と呼ばれる」と語る。

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