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5月12日、腕に黒の腕章、胸に白い造花、手には国旗を持
った400人以上の各界代表は、悲痛な面持ちで北京首都空港
の滑走路の傍らに立って、平和を愛するすべての人々に悲憤の
気持ちを抱かせる時間の到来を待っていた。
9時45分、胡錦濤副主席は中国共産党中央、国務院、江沢
民主席を代表して、空港へチャーター機を出迎えた。中国大使
館がNATOの襲撃を受けた際に不幸にも犠牲となった烈士の
遺族らもその場で出迎えた。
9時55分、NATOが中国駐ユーゴスラビア大使館を襲撃
した事件を処理するため、ユーゴに赴いた専門グループの32
人のメンバー、犠牲となった英雄烈士の遺骨、負傷者および大
使館館員24人を乗せたチャーター機が、徐々に下降を始めた
。
救護者が先に飛行機に搭乗した。10時5分、飛行機のドア
が開かれ、4人の護衛兵の護衛の下で、邵雲環さんの生前の同
僚が彼女の生前の写真を両手で捧げ持ちながらゆっくりと紅い
絨毯の敷かれたタラップから降りた。母の遺骨をしっかりと抱
く曹磊さん、娘の朱頴さんと娘婿の許杏虎さんの遺骨を捧げ持
つ朱福来さんも足取り重く飛行機から降りた。朱頴さんの母郭
桂きさんは遺骨の前に飛び出し、28歳足らない娘の遺骨を手
で撫でながら、「私の娘を返せ」と大声で泣き叫んだ。連日、
悲しみをじっとこらえている許杏虎さんの両親も、「虎ちゃん
、一緒に家へ帰りましょう」とだけ言って、涙をこらえきれな
かった。親が子の葬式を出してはいけないということわざがあ
るが、これから遺族となった老人たちは、普通の人々さえ耐え
られない悲しみにどのように耐えてゆくのであろうか。その場
にいた人々は悲しみで心を痛め、思わず声をあげて泣き出す人
もいた。現場にいた多くの記者も、涙を流しながら記事を書い
た。
この普通ではあってはならない出迎式は45分間続き、葬送
曲さえなく、米国をはじめとするNATOの暴行に対し沈黙の
まま訴えかけるものであった。
「人民日報」1999年5月13日2面
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