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「人民日報」社は5月17日、新聞社全員大会を開き、邵雲
環氏、許杏虎氏、朱頴氏の三烈士の革命的実績を学び、また本
紙駐ユーゴスラビア連邦共和国記者呂岩松氏を表彰した。許中
田「人民日報」社編集長は大会で編集委員会の表彰命令を読み
上げ、邵華沢「人民日報」社社長は編集委員会を代表して挨拶
をし、徐光春・中国共産党中央宣伝部副部長は会議に出席する
とともに、挨拶をした。
大会において、邵華沢社長は編集委員会と新聞社全員を代表
して、電話を通してユーゴ連邦で取材を続けている呂岩松記者
と夫人の趙燕萍女史に親しみをこめた慰問を送り、彼が極めて
困難で危険な状況の下で、客観的かつ公正な数多くの戦地ルポ
を本社に速やかに送信していることに感謝し、彼が安全と健康
に気を付けていくことを望むと語った。呂岩松記者は次のよう
に語った。
私は一人のジャーナリストとしての神聖な使命を履行し、党
と人民から与えられた任務の完遂に努力しているだけにすぎな
い。この栄誉は私個人のものではなく、幾千幾万の中華民族の
息子と娘たちのための祖国に忠実で、業を敬い、献身する精神
に対する評価である。祖国のために、私たちは自分のすべての
力量、さらには生命をささげることをいつでも準備している。
この時、会場には嵐のような拍手が響き出し、長時間鳴り止
まなかった。
会議では、本紙国際部責任者が呂岩松記者の実績を次のよう
に紹介した。
現地時間3月24日夜、アメリカを始めとするNATOがユ
ーゴ連邦を空爆した2時間後、呂岩松記者はニュースを本社に
送信した。それが当日版に掲載され、国内のスクープとなり、
中央関係部門から十分に評価された。特に5月8日、アメリカ
を始めとするNATOが公然と中国駐ユーゴ連邦大使館を襲撃
した後、呂岩松記者は被爆現場の大使館内において生き残った
唯一の中国記者となった。彼が生命の危険を犯してまで迅速に
国内に送信した中国大使館襲撃についての情報を、本社はすぐ
に中央の関係部門に報告した。その報告は、我が国政府が先方
の状況を即刻認識し、速やかな決断を行うために重要な役割を
果たした。彼はまた、記事と写真のスクープを迅速に本社に送
信し、それらは時を開けず「人民日報」「人民日報ネットワー
ク版」と「環球時報」にそれぞれ掲載され、「人民日報」のよ
り良い制作のために重要な貢献を果たした。5月13日まで、
彼が前後して本社に送信し掲載された様々な形態の戦地ルポと
写真ニュースは70篇(枚)以上に達した。彼は、「コソボ危
機」の最新動態と事実の真相をいち早く、客観的に、また公正
に報道し、自分の実際行動をもってジャーナリスト精神を体現
したのである。
「人民日報」 1999年5月18日1面
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