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  更新時間:2002年01月04日15:11(北京時間)

  • 日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点(三)


  • 日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点(一)


  • 日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点(二)

      二、「和解」で無視された事実と責任の転嫁

      1、花岡事件に関する事実認識について

      そもそも、原告にとっての最低要求である謝罪を回避しようとする鹿島が、是が非でも認めたくない史実とは何なのだろうか。

      第一に、鹿島は「政府の閣議決定」「戦時下」という外的環境に責任を一括して負わせ、強制労働の責任主体ではなかった点を終始強調している。しかし、たとえ国策の一環であったとしても、企業として鹿島が政府、軍隊と三位一体で中国華北から捕虜や民間人を積極的に「内地移入」させ、花岡に九八六名もの中国人を強制連行したことは事実であり、企業としての鹿島に奉仕させ、利益をあげたという史実とその責任は回避できるものではない。

      第二に、鹿島が戦犯企業として断罪されている事実の無視。日本敗戦後の一九四五年十月に至るまで、鹿島は連行した中国人を虐待・酷使しつづけたことで、四一八名もの中国人が死亡し、四二パーセントという高い死亡率を示した。花岡蜂起は、そうした集団虐待・酷使への抵抗であった。一九四六年十月連合国軍は、鹿島花岡出張所長河野正敏をはじめとする七人の従業員と蜂起の鎮圧にかかわった警察を逮捕し、一九四八年三月横浜軍事裁判(BC級戦犯・横浜地裁法廷)で三人に絞首刑、一人に終身刑、二人に重労働二〇年の有罪判決を下した 。「起訴理由概要」には、次のように記されている。

      「株式会社鹿島組の秋田県花岡・中山、中国軍俘虜収容所(含む一般中国人)総管理者(●野)所長(●勢)庶務課長(●井)労務課長(●田)として管理の不良酷使虐待に依り、多数の俘虜を死亡せしめ、また●浦(花岡警察署長)●藤(警部)は己が取締下に於いて右行為を行なわしめ、職責を不法に無視し、多数死亡に寄与せり。以て軍事法規並に慣習に違反せり」。

      この史料からも、鹿島による花岡での中国人集団虐待が、国際的に裁かれた消すことのできない事実であることが明白である。

      2、和解条項の矛盾:「法的責任」および解決金の性格

      上に見た史実を認めるのであればその罪は明白であり、直ちに謝罪につながるはずである。逆に謝罪しない、あるいは曖昧に放置することは、史実の否定や無視を必要とする。ところが、「和解」内容を明記した条項は、いずれとも解釈できないような曖昧さをもち、論理に破綻を来していることを明らかにしよう。

      第一に、「和解条項」第一項の「当事者双方は、平成二年(一九九〇年)七月五日の『共同発表』を再確認する」という前半部分は、強制連行・強制労働の歴史事実を認め、企業としての責任を認めた上で中国人生存者・遺族に謝罪をしたことに対する確認であると原告代理人は主張している。しかし、それに続く、「ただし、被控訴人は右『共同発表』は被控訴人の法的責任を認める趣旨のものではない旨主張し、控訴人らはこれを了解した」という下りは前半の認罪及び謝罪を否認したものであり、しかも原告側の了承まで得ている。したがって、鹿島のコメントと合わせて考えると、この「和解」では法的責任の所在を明らかにすることができず、「再確認」が意味のないものとなってしまい、「画期的」どころか、むしろ「共同発表」から大きく後退したと見てよかろう。

      加害の事実を否認するならば、その法的責任・道義的責任を認めない方がむしろ筋が通る。鹿島は花岡事件に対する責任を根本から否定しつづけているため、被害者たちの主張・要求と全く相容れず、そもそも和解の前提が存在しないと言ってよい。「和解」成立後の原告側弁護団と一部の原告中国人被害者との対立も次の一点が忘れられていることに原因があると思えてならない 。つまり、一般に和解とは、双方にそれぞれ非のある紛争を歩み寄らせ、双方に一定の譲歩を伴うものであるが、花岡訴訟は被告側に一方的に非のある紛争であるため、和解の前提となる認罪・謝罪の点については原告に譲歩の余地は全くないということである。

      第二に、和解条項全体の有効性について。一九四八年の横浜国際法廷で鹿島は戦犯企業として断罪を受けた。国際法に基づけば、BC級戦犯裁判の判決を無視して法的責任を明確にしないまま成立した「和解」それ自体の法的妥当性は問われるところである。

      一九五二年のサンフランシスコ講和で、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受託し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」 (第十一条)、という形ですべての国際法上の戦争犯罪を認めた。これは日本国憲法施行後のことであるから、「最高法規、条約及び国際法規の遵守」を定めた憲法第九八条第二項にもとづいてこの戦争犯罪を無視することはできないはずである。実際、この十一条どおりに、講和後、戦犯らは「日本政府の手によって巣鴨プリンにおいて刑の執行を受けて」いた 。

      したがって、BC級戦犯にされた鹿島社員が存在した以上、「法的責任」がないという鹿島の主張を「和解条項」の中に入れることを許した東京高等裁判所は国際法を蔑ろにするものであり、こうした不当な根拠に基づく損害賠償請求の解決は日本国憲法にも抵触する恐れがあると考えられる。

      第三に、第二項の「花岡平和友好基金」について。鹿島は花岡事件の歴史及びその法的責任を認めないにもかかわらず、受難者の「慰霊等」のため五億円の「花岡平和友好基金」を拠出することにした。しかし、その法的根拠が如何なるものか、両者の関係は如何なるものかは明らかではない。国際法廷で中国人に対する戦争犯罪を犯したと判決された鹿島は、如何なる論理をもってまるで中国人を救済する「慈善機関」に変身したのだろうか。

      3、責任の転嫁に関して

      さらに、鹿島によって放棄された責任は、どういうわけか原告に転嫁されていることを次に示しておく。

      「和解条項」第五項では、「本件和解はいわゆる花岡事件について全ての懸案の解決を図るものであり〔中略〕今後日本国内はもとより他の国及び地域において一切の請求権を放棄することを含むものである。利害関係人及び控訴人らは、今後控訴人ら以外の者から被控訴人に対する補償等の請求があった場合、〔中略〕責任をもってこれを解決し、被控訴人に何らの負担をさせないことを約束する」ことが規定されている。しかし、これには法的に大きな問題点さえ含まれている。

      まず第一に、利害関係人及び控訴人らに対しての「約束」規定には大きな問題点が孕まれている。「和解」の効力は利害関係人、当事者控訴人耿諄ら十一人と利害関係人、被控訴人鹿島建設株式会社との双方にしか及ばないため、上述の「約束」は潜在的にではあるが、十一人以外の花岡受難者に対する侵害行為を招くことになる。具体的には、ここでは控訴人十一人以外の花岡受難者の「補償等の請求」権の放棄を約束しており、利害関係人と控訴人ら十一人に将来発生可能な第三者による訴訟を阻止する法的責任を負わせることとなった 。このような規定は、他の九七五人の平等訴訟権を侵害することとなる。日本による侵略戦争の遺留問題であったものを被害者の中国人間の問題に矮小化することで、中国人同士の反目の温床を作り、真の問題が何かを見えにくくさせている。事実、「和解」の実現以降、それを受け入れた被害者・遺族と受け入れない被害者・遺族との間に早くも対立が起こっている。八月に北京で行なわれた「花岡受難者連議会」の幹事会では「和解」を拒否した孫力氏は、他の被害者から幹事を辞退するよう迫られている。

      第二に、「一括封印」の問題。原告代理人やメディアからは画期的と評されているように 、今回の「和解」は被害者への「一括的解決」「全体解決となることを保証する条項」であることが強調されている。しかし、裏にはこの第五項があって、被害者たちによる鹿島に対する損害賠償請求の「一括封印」でもあった。利害関係人の責任に関する設定は、鹿島の責任を利害関係人及び控訴人らに転嫁することとなり、中国紅十字社を利害関係人に立て、江澤民国家主席がその名誉会長であることを強調し、政治力で鹿島に対する賠償請求を封じ込めようとした狙いがあると見てよい。原告代理人やメディアは、「一括解決」は加害企業鹿島にのみ有利だということに全く触れておらず、金額の問題だけを見ても、総額五億円が「最高金額」と評価されているものの、一人当たりでは約五〇万円――実際、九月末北京で行なわれた「和解」基金分配式で二十一人の被害者に一人当たり二五万円が渡された ――と、次節で見る他の「和解」と比べてもかなり低額であることにはなぜかほとんど言及されることもなく、欺瞞性を孕んでいることは看過できない。

      以上の検討から、紛争当事者双方の最低要求にかかわる謝罪に関して合意がなされたと考えられる根拠は見いだせない。にもかかわらずなぜ「和解」が成立したのだろうか。それは、和解を渋る鹿島建設との交渉に業を煮やした原告代理人が形式に拘泥して責任を明確にすることなく五億円の「慰霊金」を受理して決着を急ぎ、責任の明確化、謝罪という本来の課題を封印してしまったことから生じたのではないだろうか。かりに鹿島との訴訟においては企業に道義的責任を取らせるまでにとどめて、次の政府による補償の実現への踏み台にしようという狙いがあったとしても、被害者の「尊厳」が軽んじられ続けてきた戦後補償運動史にとっては、本質的な前進ではなかった。

      「人民網日本語版」2002年1月4日

      

           ML中日網橋     自由発表



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