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  更新時間:2002年01月04日15:11(北京時間)

  • 日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点(三)


  • 日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点(二)


  • 日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点(一)

      「戦争責任研究」2001年冬季号に、一橋大学で社会学を専攻する張宏波博士による「日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟『和解』の問題点」と題する論文が掲載されました。作者の了承を得てここに全文を転載します。なお、原文は学術論文のため注釈が多くなっています。注釈をご覧になりたい方は「戦争責任研究」2001年冬季号をご参照ください。

      

      日本的戦後処理を再生産した花岡訴訟「和解」の問題点

      

                      張宏波

      

      昨年十一月二十九日、花岡訴訟が「和解」に至ったことは、既報の通りである。補償はおろか戦争責任を認めるか否かという段階に未だに止まっている日本の現状を考えれば、十余年にわたる闘争は、企業の戦争責任の追及を通じて、日本政府及び企業による中国人強制連行・強制労働の歴史事実を暴露・糾弾し、政府と企業の責任を広く知らしめるのに大きく貢献したと評価できる。頑迷な企業との長期間に渉る交渉が並々ならぬ努力と忍耐を要したであろうことを想像すると、支援された方々に心からの敬意を表したい。

      しかしながら、関係者にとって歓迎すべき結果であったはずの「和解」をめぐって、被告・鹿島建設、原告および原告代理人(弁護士とそれを支援する日本側の市民団体「中国人強制連行を考える会」(以下、考える会))の三者の出したコメントには、その評価に奇妙なズレが見られることは無視できない。事実、本稿執筆中の六月二五日には、原告の一人である孫力氏は、代理人弁護士と中国人原告との数回にわたるミーティングの詳細な議事録を公開し、最終的に取り結ばれた「和解条項」とそれまで原告側になされていた和解内容に関する説明が根本的に相違することから、この「和解」を拒否するとの声明を出した 。同様に、十一人の原告以外の一部被害者及び遺族もこの和解に対する反対を表明し、鹿島の罪責を追求しつづけるための新たな訴訟を起こすことを公表している 。こうした「和解」をめぐる行き違いをまず正確に認識すること、そこから日本の戦後処理の問題性を浮び上がらせることがここでの狙いである。

      一、花岡訴訟「和解」の成立及びそれに関する三つのコメント間のズレ まず、そのズレを検討する前に、五項からなる和解のポイントをあげておく 。

      1、花岡訴訟「和解」の主な内容

      @一九九〇年七月の「共同発表」 を再確認する。ただし、このことは直ちに鹿島が法的責任を認めたことを意味するわけではなく、中国人原告もこれを了解する。

      A鹿島は受難者に対する慰霊等の念を表明し、中国紅十字会に五億円を信託し、紅十字会はそれを「花岡平和友好基金」として管理する。

      B和解は花岡事件についてすべての懸案の解決を図るもので、受難者と遺族はすべてが解決されたことを確認し一切の請求権を放棄することを含む。今後、もし補償請求が発生する場合、紅十字会と原告の十一人において責任をもってこれを解決し、被控訴人に何らの負担もさせないことを約束する。

      2、「和解」後の三つのコメント

      すでに述べたように、和解成立後、鹿島側、原告代理人及び原告の支持団体、原告側の三者がそれぞれコメントを出している。まず、その要点について確認しておく。

      2-1 被告鹿島建設株式会社「花岡事案和解に関するコメント」

      @日本政府の中国人労働者内地移入政策の下、中国人が本社花岡出張所で働いていた。しかし、戦時下の厳しい環境のため、「当社としても誠意をもって最大限の配慮を尽くし」たが、「多くの方が病気で亡くなるなど」「深く心を痛めてきた」。

      A法的責任はないことを前提に和解協議を続けてきた。

      B受難者の慰霊等のため「平和友好基金」を拠出するが、基金は補償でも賠償でもない。

      このコメントから、鹿島側の中国人強制連行・強制労働の歴史事実に関する認識、企業としての責任に関する認識及び訴訟に対する姿勢が明らかである。@は、中国人強制連行、酷使、虐殺という歴史的事実の全面的否定、企業としての責任の回避を意味する。また、ABは、和解条項第一項で再確認されたとされる「共同発表」における謝罪を取り下げる形となっている。

      2-2 原告代理人と支援団体のコメント

      @原告代理人新美隆氏「和解成立についての談話メモ」 :

      「歴史的に見ても・・・画期的なもの」,「日中友好の一層の進展に向けて一つの輝く掛け橋になるもの」,「但し書きは、共同発表の訴訟上の和解での再確認とともに画期的なもの」,「第五項全体解決となることを保証する」。

      A「考える会」代表・田中宏氏 :

      「原告だけでなく全員を一括解決したところに意味がある」,「謝罪を踏まえた上でそれを実現するための金銭給付という意味は大きい」(下線強調は筆者)。

      両氏ともいずれも一括解決や「共同発表」の再確認を強調しており、「和解」を「画期的」と高く評価している。しかし、「評価」された点は上に見た被控訴人・鹿島の主張、姿勢とはっきり矛盾しており、「評価」の根拠が如何なるものかは明らかではない。

      2-3 原告代表耿諄氏のコメント

      かつての花岡蜂起のリーダーであり、鹿島側との交渉や裁判で原告代表を務めた耿諄氏(八六)は、「和解」当日の十一月二十九日、日本のマスコミのインタビューに対し、「鹿島はようやくその責任を認め、謝罪をしたが、しかし、我々の要求からはまだかなり遠い」と語った。「和解」成立前には鹿島は責任を認め謝罪をすると知らされていた耿氏だが、記念館建設の要求に応じない鹿島に不満を隠さず、次のメッセージを送っていた:「討回歴史公道、維護人類尊厳。促進中日友好、維護世界平和。」

      これは「歴史の公道を取り戻し、人間の尊厳を守れ。中日友好を促進し、世界平和を推進しよう」という内容であるが、「歴史の公道を取り戻し、人間の尊厳を守られた。中日友好を促進し、世界平和を推進しよう」と訳されて日本の新聞等で大々的に報道され 、この花岡「和解」に被害者たちが満足しているかのように喧伝された。

      しかし、その後、「和解条項」や鹿島の和解に関するコメントを見て謝罪が行われていないことを知った耿諄氏は、鹿島と原告代理人を次のように批判するに至る :

      弁護士はあの時、「鹿島は重ねて謝罪する意思があり、これまでに合意した共同発表に基づいて謝罪する」と言った。賠償金は少ないと言うことで、その後様々なことを考慮して、鹿島が誠意をもって謝罪し、自らの罪を認めるのであれば、我々は譲歩しても良いと思った。

      その後、鹿島側が発表したあの声明を見て、怒りの気持ちが湧いてきた。鹿島側は……、資金は出すが、それは慈善的意味合いのものであり、中国人救済のためだと言ってきた。

      彼らは加害者であり、中国人労働者を殺害した張本人なのだ。隣人への援助や追悼と同じように扱えるのか。

      原告側がだまされて、欺かれたのだ。中国人に対する侮辱だ。

      さらに、二〇〇一年八月六日、中国河北省地方紙の記者によるインタビューに対して、耿諄氏は「和解」についての認識や今後の闘争を次のように述べている :

      法律上の謝罪をせずに、記念館の建設にも触れなかった。たったの五億円にもかかわらずなんと救済だとまでいっている!これは中国人に対する最大の侮辱だ!我々は決して受け入れない!

      「和解」では、花岡被害者側が出した三項目の要求は一つも解決されず、被害者に極めて強い憤慨の念を抱かせることとなった。

      〔中略〕花岡被害者の賠償請求闘争はこれで終わったわけではない。九八六名の被害者・遺族は得るべき謝罪と賠償を得ていないため、その全ての人は引き続き鹿島を訴える権利を持っている!これは民族の大義に関わる問題だ!我々の世代だけでなく、次の世代もその義務がある。もし、訴訟に生存者の証言が必要なら、私は必ず法廷に出て証言をする!

      3、三つのコメント間のギャップ

      以上のように、三者の間で、「和解」に対する評価、鹿島に対する評価が全く一致しないままでの「和解」となっており、さらに一部の被害者・遺族の反発にもかかわらず、「和解」基金の運営が正式に始まっている。鹿島は基本的歴史事実を一切否定し、その帰結として原告たちが要求した認罪も謝罪も当然行なっていない。にもかかわらず、原告代理人は「和解条項」の第一項で共同発表を「再確認」したことで、鹿島が謝罪したと主張して「和解」を勝利だと大々的に宣言し、鹿島に「敬意」と感謝の意を表している 。

      鹿島の訴訟・控訴審における主張に関して、担当の東京高等裁判所第一七民事部裁判長新村正人氏は、次のように述べている。「被控訴人の主張の基調は、花岡出張所における(控訴人等の――筆者注)生活については、戦争中の日本国内の社会的・経済的状況に起因するもので、被控訴人は国が定めた詳細な処遇基準の下で食糧面等各般において最大限の配慮を尽くしており、なお戦争に伴う事象については昭和四七年の日中共同声明によりすでに解決された等というものである」。

      この裁判官の「所感」からも明かになった鹿島の姿勢は、鹿島の先のコメントでの主張と全く一致しており、原告代理人側が何を根拠に鹿島が「謝罪」したと主張しているかは不明である。

      したがって、原告代理人やマスメディア等によって「画期的」と評されている裏で、報じられることのない原告代理人と原告・中国人被害者との「和解」の評価をめぐる対立や、不問にされている鹿島の姿勢と原告代理人による鹿島への評価の大きなギャップがなぜ生じたのかを問う必要がある。

      一般に、和解は、双方の最低要求の充足がなされないかぎり成立しない。譲歩はその上でなされる。紛争当事者は条項に基づいて「和解」という事態の内容を規定しあったわけであるから、その内容は、当事者のいずれが読んでも同じ理解に達する明確さを持って記されているはずである。しかし、本節で見た評価のズレが示すのは、原告の最低要求である「謝罪」を曖昧にしたまま、解決金の方に重点をおいてしまった転倒に原因があるのではないだろうか。他方、謝罪の回避が鹿島側にとっての最低要求であったとすれば、双方の最低要求が謝罪をめぐるものであった以上、最も根幹的な部分で「和解」がなされていない可能性を考えざるをえない。

      したがって、次節では、謝罪をめぐる「ねじれ」の原因を探るために、謝罪の対象である戦前の歴史的事実の確認を起点に、「和解」条項における謝罪の取り扱いおよびその解消策の問題性について論じたい。

      「人民網日本語版」2002年1月4日

      

           ML中日網橋     自由発表



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