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GDPをいかに扱うべきか(評論) 近年、各地のさまざまな部門が国内総生産(GDP)を非常に重視しているが、経済成長イコール経済発展と単純にとらえ、社会の全面的な進歩を軽視する人もいる。こうした考え方が実際の活動に反映された結果、一部の地方ではGDP成長がやみくもに追求され、GDP成長率が経済社会の発展と指導幹部の政治的業績をはかる主要な、または唯一の指標とされ、文化、資源、環境といったその他の指標が軽視されている。
GDPは歴史的に、弁証的に、理性的に扱わなければならない。第二次世界大戦以後、GDPは経済社会の発展をはかる重要な指標として、世界各国で徐々に採用されるようになった。これには一定の道理がある。当時は経済発展による資源の消費や環境への影響が今よりはるかに小さく、持続可能な発展の必要性も現在ほど切迫していなかった。1992年以降、中国ではGDPが国民経済をはかる中核的な指標となり、各クラスの指導者・幹部の政治的業績をはかる最も主要な指標にもなった。なぜなら、科学的に算出されたGDPとGDP成長率は、経済全体の成長レベルや発展状況をほぼ反映することができ、経済社会の発展に対するGDP急成長のプラス効果が多方面にわたるからである。雇用を例に取ると、中国ではGDPが1ポイント上昇するごとに、80万〜100万の雇用が創出された。GDPが急成長することで、国民の物質生活が大いに改善され、向上しただけでなく、中国の総合的な国力と国際競争力も大幅に増強された。GDPは幹部の政治的業績を評価する重要な指標として、やる気を引き出し、闘志を燃やさせるのに一定の役割を果たしてきた。 GDPの成長は経済発展の基礎であり、経済データ上の成長がなければ発展を語ることはできない。しかし、成長は発展のすべてではなく、成長と発展とを単純にイコールとすることはできない。成長と発展は、相互に作用しつつ、対立と統一が存在する矛盾の塊でもある。成長は生産量の増加を目標とし尺度とし、「どれくらいあるか」といった量の問題を解決する。一方、発展の含意はより広く、成長のほかにも、生産・分配の構造とメカニズムの変革、社会と政治の変遷、人と自然との関係、生活の質・レベルの持続的な向上、自由な選択と機会の平等といった内容を含む。全国民の経済、政治、文化、社会の各方面における「質」の変遷と進化を強調し、「どれくらいあるか」といった量的な問題のほか、「どれくらい良いか」といった質の問題も解決する。 GDPを過度に強調することには、見過ごせない欠点がある。なぜなら、GDPが算出するのは経済活動であり、経済的な幸福ではないからだ。GDPには経済成長の質と構造が正確には反映されず、人々が実際に享受する社会福祉の水準も反映されない。たとえば、現在のGDP指標体系では、環境汚染による損失を表すのは難しく、貧富の差や社会の公平性なども表せない。このため、GDP成長と経済発展をイコールで結ぶことはできない。もしもGDPが経済社会の発展をはかる唯一の指標となれば、成長ペースだけが一面的に追求され、構造、質、効果などが軽視され、経済発展と社会発展の相互バランスがなおざりにされ、ひいては資源の大量浪費や環境破壊、次の世代の利益への損害を代価に、経済の一時的な成長を求めることになる。やがては誤った「唯GDP論」にはまり、一部幹部の短絡的な行為や浮ついた気風を誘発し、助長し、小康社会(ややゆとりのある社会)の全面的建設という目標の実現に影響することになる。 われわれの言う経済の比較的早い発展とは、構造の改良、質と効率の向上といった基礎の上に構築された発展であり、ペース、構造、質、効果の統一的バランスの実現を目指すものである。こうした目標を実現するには、必ず科学的な発展観に基づく指導を堅持し、新しい工業化の道を歩み続けなければならない。同時に、科学的発展観の樹立と正確な政治的業績観の堅持を同時に進め、人材の正しい登用方針を確立するとともに、全面的な発展観を強化し、GDPの一面化や絶対化を防止し、「数字のみを根拠とする昇進、幹部による数字のみの追及」を回避する必要がある。(編集KS) 「人民網日本語版」2004年7月27日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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