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  更新時間 :2006年01月02日12:18 (北京時間) 文字

消えた北京原人、やはり米軍施設に? 43年憲兵隊報告


  北京原人の化石骨は41年、日米開戦の混乱の中で姿を消した。20世紀科学史の悲劇としてその行方は様々に語られているが、「米軍施設に運び込まれた」と結論付けた日本軍憲兵隊の報告書の内容を、国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授(考古学)が12月発行された日本人類学会の機関誌で明らかにした。

  43年5月26日付で、北京憲兵隊長が上海の憲兵隊司令部あてに出した「『北京マン』捜査状況ニ関スル件報告『通牒(つうちょう)』」。原人骨の行方を捜すため、上海の捕虜収容所にいる米国人を調べてほしいと依頼し、捜査状況を説明している。

  北京原人は28〜37年に北京郊外の周口店で発見され、米国の財団が北京で運営する医学校に保存されていた。戦争が始まると日本軍は同校を接収。だが、骨がないため憲兵隊が調べ始めた。

  報告書は、米国人や中国人を調べたなど捜査の経緯を記し、「米国に避難させるため41年11月に二つの箱に詰め、北京にある米軍の兵営に運び込まれた」と結論付けている。兵営を占領した日本軍の将校と一緒に、米軍が残した物品を調べたが見つからなかったとも記している。

  報告書は、「長谷部用紙」と印刷された300字詰め原稿用紙16枚。春成教授は88年に人類学者の故渡辺直経・東京大教授からコピーを手渡された。渡辺教授の恩師で、捜査にかかわった故長谷部言人・東京帝大教授の資料らしい。長谷部教授は52年に「憲兵隊の捜査報告書を内見したことがある」と書いているが、内容が明らかになったのは初めて。

  中国では北京五輪までに原人骨を捜し出そうとの運動が始まっている。日本軍が持ち去ったとの疑念は根強く、台湾海峡で米潜水艦に撃沈された日本の貨客船に積まれていたとして、船を引き揚げようという動きもある。他に、漢方薬として中国で使われてしまったなどの推測がある。

  春成教授は「行方不明になった重大な背景に日本軍の行動があるのは確かだが、この報告書で原人骨が日本に来ていないのは明らかといえるだろう」と語っている。

  〈元国立科学博物館人類研究部長の山口敏さん(人類学)の話〉 この報告書の存在はまったく知らなかった。書き写されたものだが、偽造する可能性はあまり考えられないだろう。問題は、米軍の兵営に運ばれたという結論の先の最終的な行方なのだが、日本軍はつかめなかったことになる。内容はこれまで語られてきた範囲内のことだが、憲兵隊の文書で改めて裏付けられたことに意味がある。

  

  「asahi.com」 2006年1月2日

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