日本語と私


  「お父さん、お母さん、私は日本語を専攻したい。将来翻訳家になりたい」三年前の夏、初めて両親に将来の進路や夢を話した後、家族の中では大騒ぎが起きてしまった。祖父母たちの絶対反対だという反応に対して、両親はもっと冷静そうには見えたが、非常に真剣な顔をして、「どうして日本語を勉強したいか。どうして翻訳家になりたいか」ときいた。

  なぜかというと、『火垂るの墓』といった日本アニメが、私が人生の道を選ぶ上で莫大な影響を与えたから。それは高校二年生のことだった。それまで、将来を考えても、いつも頭に霧がかかったようにはっきりしていなかった。何をやろうか、何になろうか、全然分からなかった。偶然に、アニメマニアの友達に誘われて、反戦アニメの『火垂るの墓』を観た。これが日本語を勉強したいと思うきっかけになった。

  アニメの中の清太や節子は兄弟で、戦争の中、生きていくために一生懸命だったのに、結局蛍の短い生命のように簡単に命が奪われてしまった。暗い防空壕の中で、清太が節子に蛍を捕まえてやり、蛍の光が二人の幸せな笑顔を照らす場面を観て、胸が張り裂けそうに痛く、思わず涙が頬を伝った。一瞬にして消えたはかない幸せ、しかしこれほど悲しいことはないだろう。そう思うと、日本国民も戦争に巻き込まれた不幸な犠牲者だったと初めて気づいた。また、彼たちも悲しい体験を背負って生き、思いもしない速さで廃墟から立ち直った。困難を乗り越えた勇気に感服させられ、私はもっと日本や日本人のことを知りたくなった。そこで、『火垂るの墓』のような優れた作品を中国人に紹介して、本当の日本や日本人のことを理解させる翻訳家になろうと固く決心した。

  私の話を聞いた後で、父はこんな話をしてくれた。

  「中日友好は一時的に障害が生まれるが、必ず順調になるものだ。この関係の仕事に携わるなら、その間で苦しくても悲しくても迷いをすてて歩いていかなければならない。いつも自分で選んだ道を信じてほしい」。父は支持してくれた。

  父の賛成で大変喜んだと同時に、祖父母の、特に父方の祖父の反対に大変困った。こういうことも予想していたことだ。祖母の話によると、祖父は六歳から日本軍の爆撃機から逃げ続けた。彼の祖母は目の前で爆弾の破裂で死亡してしまった。全身は焼け焦げ、肌はただれ、顔の半分がないほど悲惨な様子だったそうだ。

  「おじいさんは一生日本人に対する恨みが消えないと言った。お前が日本語を勉強すると、おじいさんのことを裏切ることになるじゃないか」と祖母は涙ぐみながら話した。

  私は祖父の気持ちがよく分かるといいたかったが、何も言い出せなかった。この身をもって戦争の苦痛を体験したことがないから、私の理解は本当の理解ではない。戦争に対してできる想像は恐怖そのものだ。戦争がない今日に生まれて育てられた私は、日本人を恨んだりしていない。それにしても、私なりの考えがあった。人は過去の歴史を忘れずに生きていかなければならない。でも、恨みも憎しみもできるだけ忘れるしか方法がない。そうしてこそ、前向きで明るい未来を迎えられるものだ。中日の間に再び紛争が起きることはない。

  それで、祖父にこういうことを伝えた。

  「私より何でもよく知っている。おじいちゃん、あの頃は、誰が悪いわけでもなかったね。日本国民も中国国民も。戦争中の日本では、原爆によって少なくとも二十万人は命が奪われた。何の罪もない人だ。生き残った人たちも親や子を失う悲しみを受けた。彼たちを恨まないようにしてほしい。あの頃は、時代が病んでいたのだから。でも今世の中は変わった。平和な世界になった。私はこんな容易に得られない時代を守る力になりたいからこそ、日本語を勉強したい」

  祖父は黙り込んだ。何か思い込んでいるのか。

  「それじゃ、しっかり頑張りなさい」と祖父が突然に小さい声で言った。

  驚いたり喜んだりした。この簡単な励ましに、祖父が私の考えにちょっと納得したという意味もあった。

  大学に入って日本語を専攻している三年間には、中日関係が悪化したので、悪い影響を受けたこともあるし、友人に日本人の肩を持つ親日派と思われたこともあるのに、終始自分の道を堅く信じ、翻訳家になりたい夢を諦めようとは一度も思わない。中日国民が互いに理解し合うために、今日の平和を保つために、私のある限りの力を尽くしたい。(江西財経大学 陳 茜)

  特別提供:日本僑報社・日中交流研究所 http://duan.jp




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