教室は間違うところです


  教室は間違うところだ             蒔田 晋治
教室は間違うところだ。
みんなどしどし手をあげて、
間違った意見を言おうじゃないか。
間違うことをおそれちゃいけない。
間違うことをわらっちゃいけない。
……
安心して手をあげろ、安心して間違えや、
……
間違ったって、だれかがなおしてくれるし教えてくれる。
……
そんな教室つくろうや。
みんなでしゃべってつくろうや。

  この日本語の詩は深く頭の中に根付いている。日本語を勉強しているうちに、この詩との出会いをきっかけに、私の考えがうって変わった。私はこの詩に感謝している。なぜかというと次の文章を読んだら分かるであろう。

  これはA先生の授業でのことであった。

  もともと、A先生の授業は院生の一年生と二年生が別々に行っていた。しかし、最後の授業はいっしょに行うことになった。授業が終わりそうな時に、A先生は二年生が後輩に自己紹介するように提案なさった。まさか、殆ど見知らぬ顔を前にして、日本語でしゃべるなんて。知らず知らずのうちにドキドキしてきた。幸いなことに私は一番ではなかったのである。それなのにやはり緊張してしかたなかった。そろそろ私の番になる。そのうち自分にも理解できない不思議なことに最初ほどドキドキしなくなったのである。私は立ってほかのことを考える余裕もなく、意識的にちょっと間を置いて、心を静めたりしてから微笑しながら大きな声で、ゆっくり、はっきり自己紹介を始めた。

  今、考えてみると、それは全く自分でさえ信じられないほど自然な流れであったと思う。以前よりだいぶよくなってきた(上達したことは上達したが、それほどではない、ただ自分の以前の姿と比べて)。私はいつごろからどのように上達してきたか、その原因は一体何であろう。まもなく、答えが見つかった。それは「教室は間違うところです」という詩である。では、この詩と本人の日本語の運用能力の上達とはどんな関係があるか、今からこの謎を解きたい。

  今までの私は日本語科の学生なのに、日頃殆ど日本語でしゃべっていなかった。これは外国語を学んでいる学生にとって大きな戒めである。日本人の先生の授業で「教室は間違うところです」という詩を習って以来、私は変わってきた。そして、日本人の先生は次のようにおっしゃった。「教室で間違いが出ても、かまいません。もし、社会に出て間違いを犯すと、それは大変です。教室で誤りがあっても、先生と学生達が指摘し、直してくださるからこそ上手になれるのではないでしょうか」

  全くその通りであると思う。実は間違いは怖いものでなく、本当に怖いのは間違いを怖がり何も口にしないことである。そうすると上達できない。だから、授業中私は意識的になるべく日本語で考え、日本語でこの考え方を表現するよう頑張っている。言葉遣いとか文法などの面でやはり問題が出てくるのに気付いて悔しい時もある。が、いつも必ず乗り越えられると確信している。現在、日本語でしゃべる時に誤りがあれば、後悔するとか悔しいとか恥ずかしいのではなく、誤りが一つ出ると、その反対に一つずつ賢くなり、結局間違いがなくなることにつながっていくと考えている。

  今の私を成長させてきたものは「教室は間違うところです」という詩のおかげである。もう一人新しい自分が生まれたような気がする。教室だけではなく、いつでもどこでも失敗とか誤りを怖がらないで勇気を出して直面すべきだと思っている。将来教師になれば、この詩をもっと多くの学生に伝えたい。そして、私のように自信を取り戻せることを望んでいる。この詩は一生心に残って、役に立って、私に影響を与えてくれた。だから、この詩に感謝している。(遼寧師範大学 劉 麗)

  特別提供:日本僑報社・日中交流研究所 http://duan.jp




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