日本語と私


  大学に入る前の夏休みに中日の混血児の河野雄に会った。河野は十一歳で小学生だった。彼の中国の名前は孫恩遥だ。その時、私は高校を卒業したばかりだったので日本語を話せるどころか、五十音図も知らなかった。でも、自分の専攻が日本語だとわかっていたので好奇心で河野にすこしでも教えてもらいたかった。

  恩遥の父は日本に留学した時、恩遥の母に出会って、恋愛し、結婚した。だから、恩遥は実は中国人だ。でも、生まれてからずっと日本にいたので中国語を話せるが、流暢ではなかった。

  二十歳の私は十一歳の彼に先生をさせようとした。彼は恥ずかしがって「私は先生、だめだよ」と言いながら手を振った。恩遥のお父さんは「大丈夫だよ。ただひらがなやカタカナや簡単な言葉を教えればいいんだよ」と彼に説明した。彼はとても喜んで同意した。それから、私たちは毎日晩ごはんの後、近くの公園で会うことにした。私は初めて「あいうえお」と出会った。恩遥は時々漫画を持ってきて私に漫画の内容を理解しにくい中国語で説明してくれた。私も中国のその年齢の男の子がよく遊んでいるもの、たとえば、水鉄砲、電子ゲーム器などを彼に贈った。私たちは言葉の交流にちょっと障害があったものの、すぐ友達になった。二人ともバドミントンが好きだった。私は以前よくバドミントンをしたことがあったので、この子供の前で恥をかかなくてすんだ。ある日、私は恩遥に中国についての印象を聞いた。「本音で言えば中国と日本のどちらがすきですか」。恩遥は眉をひそめて「やっぱり日本だよ。日本は中国よりきちんとしていて清潔だ。中国の野菜は地面で並べて売っているのは汚いじゃないか」。「もういいです」と私は頭にきて彼の話を打ち切った。そして「あなたも中国人ということを忘れないでください」とかたい口調で言った。恩遥は聞くや否やぽかんとしていた。

  その後の何日かは高校のクラスメートの入学宴会やパーティーで毎日忙しかったのでほとんど公園へ行かなかった。もうすぐ夏休みが終わるというある日、恩遥のおばあさんに会った。おばあさんは「張さん、恩遥はもう日本へ帰りました。あの子はあなたがすきだと言いました。あなたが用事があって行けないと知っていても毎日公園へ行きましたよ。あの子には中国で友達はあなた一人しかいません……」と私に言った。これを聞きながら恩遥の顔や声が浮かんだ。「お姉ちゃん、『吃席』はなんですか。私も行きたい」、「『こにしは』じゃなくて『こんにちは』です」という声が私の耳の側でひびいた。私の気持ちはとても複雑だった。あの日悪い態度をとったことが悔やまれたし、恥ずかしかった。子供は子供なんだ。単純な気持ちで言ったにすぎないだろう。ほかの意味などないに違いなかったと思っている。

  中日両国の関係は本当に微妙だと思う。歴史を振り返ってみると、一衣帯水の隣国として二千年あまりの友好の歴史を持っている。でも戦争のせいで矛盾がいっぱいになった。正直に言えば日本語を勉強する前に日本についての印象は客観的ではなく、一方的だった。だから両国が比較されることに敏感すぎた。

  日本語を専攻して三年間学んできた今、日本についていろいろなことが分かるようになった。日本語を勉強すれば勉強するほどもっと日本という国に興味を持つようになってきた。今、日常会話がやっと話せるようになった。恩遥が今年の夏休みに帰ればいいなと思う。私たちはもう自由に交流もできる。十四歳になったばかりの彼はどんな様子だろうか。私、このお姉ちゃんを覚えているだろうか。いずれにしても、私は私にとって初めてのかわいい日本語教師を忘れがたいと思っている。(瀋陽師範大学 張 嵬)

  特別提供:日本僑報社・日中交流研究所 http://duan.jp




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