情は人の為ならず


  今年五月のゴールデンウィークのことだ。友達に頼まれて五日間、ある日本人工業デザイナーの通訳を担当した。相手は杉田さんという五十代の男性で、「馬が合う」というか、私たちはすぐに親しくなった。ある日、杉田さんの頼みで町を案内することになった。いきなり、「洛陽の人、優しいね」と、杉田さんは言った。「えっ? ええ?」と、私はあまりの驚きに何を話したらいいか分からなくなった。「実はこの前、町を歩いて回りたかったが、治安が大丈夫かなぁと心配して、結局できなかった」と、杉田さんが続けて言った。「そうですか。でも大丈夫です。おっしゃった通り、皆優しいですから、ご安心ください」と言ったら、「タクシーに乗るもの怖い、日本人だから」と言うので「ぜんぜん大丈夫です。心配しなくてもいいですよ」と、自信満々に言った。

  その日の夜、私はいろいろと考えてなかなか眠れなかった。杉田さんは中国へ来るのは今回初めてだ。なのに、どうして突然洛陽の人にそのような評価を下したのか。やはりもともと中国人に対するイメージと関係があると思う。ずっと日本にいた杉田さんは中国に関する情報は、大体新聞やテレビやインターネットなどのメディアから手に入れるほかに方法はないはずだ。問題は日本のメディアにあると私は考えた。日本のメディアが中国のマイナス面についての報道を時々大げさにしすぎるということが原因ではないだろうか。例えば、この前の中国での反日デモと福岡の殺人事件などが挙げられる。この二つの事件について日本では、まるですべての中国人が悪いと受け取られるような報道を行ったが、事実そうなのだろうか。

  確かに去年の四月、中国の一部の都市で、日本の歴史教科書が原因でデモが起こった。しかし、それは日本の右翼に反対するもので、日本の全国民に反対するものではない。日本のメディアの報道ではまるで日本全体に反対するかのように報道していた。そして、少し前の福岡の殺人事件も同じだ。確かに、人を殺した中国人は悪い。しかし、だからといって、すべての中国人が悪いという結論を出すわけにはいかない。一人の誤りですべての人を否定することは出来ない。第二次世界大戦の頃、東条英機を始めとして、日本には三〇人ほどのA級戦犯が出たが、日本人全部が悪いとは言えないのと同じではないだろうか。

  一方、中国のメディアにも反省する必要がある。戦時中の日本人の犯行と、それによってもたらされた災難に拘りすぎて、両国の明るい未来に目を向けないという傾向がある。歴史は歴史で、もう過ぎ去ったものであるから、私は、今を考えることに激しい議論があってもいいと思う。中日友好のためのコミュニケーションなら、完璧さを求めないで、お互いの違いを違いとして認めて尊重すべきだ。避けられない苦しみも悲しみもあるが、いやでも直視し、一歩一歩進んでいくべきだ。

  残念ながら、これほど近くなった両国では、お互いの国に関心を持つ人が増えるどころか、減ってしまった。中日友好のコミュニケーションをさせたい中国人の一人としては、まことに寂しい。大半の日本人が未だに戦争をしたがるような誤解を与える中国のマスコミに私は憤慨するが、中国政府を敵視し、中国の事を断片的に報道する一部の日本のメディアにも理解しがたい点が少なくない。

  しかし私は断言する。最初から友好と平和を乱そうとするものは、常に少数派であることを。歴史的に見ても、中日友好は歴史の流れに従うものといえる。中日友好を破壊するものは歴史の流れに逆らうものだ。いずれ消えていくものだ。だからこそ、中日双方のメディアに求めたいことがある。真実の伝え方を考えてもらいたい。できるだけ中日友好の積極的な面を報道してもらいたい。

  両国関係を悲しむという姿勢に、果たしてどのぐらいの両国の人が関心を示してくれるだろうか。「情けは人の為ならず」という諺がある。では情けは誰のためなのか。自分のため、子供のため、孫のため、将来のためにある。だから何をすべきか、各自が真剣に考えて行動すべきではないか。(洛陽外国語学院 張光新)

  特別提供:日本僑報社・日中交流研究所 http://duan.jp




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