行動違えど気持ちは同じ―「何の用事」から見た中日友好


  「何の用事」

  何の変哲もない一言だ。

  ある日、私は日本人の友達に、翌日の約束の時間について、確認の電話をかけた。

  「明日のサッカー、何時からだっけ」「朝九時。でも、ごめん。俺ちょっと用事があって、行けそうにないんだ」そこで、私は無意識にこう言った。

  「えっ、用事って、何の用事」

  「ちょっと…」

  彼は言いさして、黙り込んだ。私は、多分言い辛いことがあるのだろうと、少し気になったが、電話のやり取りには、特に違和感を覚えなかった。

  しかし、数日後、突然彼に尋ねられた。

  「俺の電子辞書に書いてあるんだけれど…」

  彼の話だと、日本人は誘いや約束などを断る時、「ごめん、ちょっと用事があって…」と言うのが普通だ。しかし、それは中国人にとって誠意のない理由に聞こえ、自分が相手に大事にされてないと感じてしまう。それで、中国人はたまらず「何の用事」かと聞く。

  「劉さん、これ、どう思う」

  その時、私は、先日の電話を思い出した。確かに自分も「何の用事」かと聞いた。もしや、それは、私が彼の返事に誠意がないと思ったと誤解されたのではないか。不安に思った私は、自分の気持ちを精一杯説明した。

  「違うよ。そんなつもりで『何の用事』と聞いたんじゃなくて、それはいわゆる中国人の習慣みたいなものでさ…」

  それを聞いた彼は、少々驚いたようだった。

  「えっ、習慣。でも、日本人はあまり聞かないよ。プライバシーに関わることだから。聞くことは、余計なお世話になるし」

  その話を聞いて、私はやっと分った。自分が無意識に口にした「何の用事」に、彼はきっと違和感を覚え、ずっと気にしていて、それで、私にわざわざ聞いたのだろう。

  相手のことを大事に思っているからこそ、中国人は「何の用事」かと聞く。だが、本気でその「用事」の詳しい説明を求めているわけではない。「もし相手が困っているなら、力になりたい」という思いやりが、この「何の用事」という言葉に潜んでいる。そして、そう聞くことは、中国人の習慣になっている。

  ところが、日本人は、その言葉の背景にある中国人の思いやりの気持ちに気づかない。なぜなら、また、相手のプライバシーを侵害しないように、また、相手を困らせないように、いつも心がけているからだ。つまり、相手が誘いや約束を断った理由を「聞かない」ことが、日本人なりの思いやりなのだ。

  結局、「何の用事」かと聞くのも、聞かないのも、どちらも相手のことを思いやる上での行動だ。しかし、その正反対の行動の背景について、私たちはあまり深く考えない。私はこの一件で、両国の行動、つまり習慣の違いの大きさをつくづく感じた。

  確かに両国の習慣は、大きく異なるところがある。だが、その習慣の違いは、実は同じ気持ちから来るものなのだ。たとえ正反対の行動であっても、どちらも同じ思いやりの気持ちがあることを知れば、お互いの交流もより円滑に進むはずだ。そのため、習慣の違いにある背景を、両国の人々に伝えなければならない。私は日本語学習者の一人として、自分の習った日本語、学んだ日本文化を生かし、両国の人々のための「伝道師」になりたい。「そうか、そうだったのか。行動は違うけど、気持ちは一緒だよね」

  私の説明を聞いて、彼はうなずいてくれた。

  彼と同じように、一人でも多くの人々に、「中国人と日本人、行動違えど、気持ちは同じ」ということを理解してほしい。そうすれば、中日友好には明るい未来が必ずあるものと信じている。

  (劉良策 吉林大学)

  特別提供:日本僑報社・日中交流研究所 http://duan.jp/jc.htm




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