五輪で変貌を遂げた都市・北京(2)2つの選手村


  1990年、北京で開催された第11回アジア競技大会は成功に終わった。

  自信をつけた北京は翌1991年、2000年五輪の招致申請を行った。

  北京アジア競技大会のメーン競技場は北第4環状道路内のオリンピック?スポーツセンターにあり、出場選手の宿泊エリアはその後、「亜運村」(アジア競技大会選手村)と呼ばれている。

  北京清華城市計画設計研究院院長の尹稚氏(清華大学建築学院副院長)は、「あの時、オリンピック?スポーツセンターの南側にはまだ土地が残っており、2000年オリンピック招致が成功すれば、その土地に新しい施設を建設する計画だった」と当時を振り返って語った。

  アジア競技大会施設をオリンピックで利用するもう一つの計画は、2000年オリンピック招致が成功すれば、アジア競技大会選手村施設の全面売却を止め、五輪選手村として利用するというものだった。

  1993年9月23日、北京の五輪初招致は失敗に終わった。同市が連続発展のチャンスを逃したと誰もが思った。

  しかし偶然にも、北京が五輪招致を申請した1991年から1993年までの2年間に、新都市全体計画が制定された。

  1993年10月、国務院は「北京城市総体規則(1991〜2010年)」を認可した。

  その後待つこと5年間、国務院は1998年、2008年北京オリンピック招致を採択した。翌1999年、北京は2008年オリンピック招致委員会を設立した。同年12月9日、北京市長弁公室はオリンピック中心エリアを北京を南北に貫く中軸線の北部エリアに確定した。(編集KM)

  「人民網日本語版」2008年8月4日




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