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更新時間:10:48 Aug 14 2008
芥川賞作家、楊逸さんインタビュー(1)
 第139回芥川賞の選考委員会は15日、中国人初となる楊逸さんの「時が滲む朝」を受賞作に選んだ。芥川賞(正式名称「芥川龍之介賞」)は、芥川龍之介(1892~1927)を記念して1935年に設立された純文学の新人賞。毎年受賞者の発表は大手メディアが一斉に報道し、大いに盛り上がる。

 18日午後、東京の文藝春秋編集部に楊逸さんを訪ねた。いちばんしたい事を尋ねると「特にしたい事はないですが、時間があれば、帰国して両親に会い、なにか食べたいですね」との答えが返ってきた。発音には東北なまりがあり、さっぱりとした人柄だ。本名は「劉鞘」、哈爾濱(ハルビン)出身の44歳。哈爾濱市第5中学で中学・高校時代を過ごし、その後ある大学に進学した。だが、そこでの2年間の大学生活については口が重い。「わたしが進学したのはだめな大学で、誰も知りません。卒業もしてませんし」。

 1987年に日本に留学した。日本語も日本に来てから学んだ。来日後4年でお茶の水女子大学の教育学部地理学科に入学。東京の中心に位置し、秋葉原の電気街や東京駅にも近い、有名国立大学だ。

 楊逸さんは兄弟姉妹5人の大家族で育った。現在父は77歳、母は75歳、妹の1人は九州にいる。子ども時代のことになると、少し感傷的になる。父の劉野さんは中学と大学で教壇に立ち、母も小学校の先生だった。文革中、両親は黒竜江省蘭西県に下放され、いちばん上の姉は下放先の北大荒で命を落とした。

 中国文学専攻の大学教授を父に持つと聞き、家庭での影響の有無を尋ねると「家は当時貧しく、ご飯を食べられればいいという状態だったので、文学的な環境だったとは言えません」とのこと。だが、中国ではいつも作文を先生に褒められ、模範にされていたと聞く。「ものを書くのが好きなんです」という楊逸さんだが、日本語で文章を書くのはやはり「必要に迫られどうしようもなく」のことだった。

 大学卒業後、日本の中国語新聞2社に勤めたが、給料が低すぎるので中国語教師に転職した。2人の子どもが相次いで生まれ、何年も文章を書かない日が続いた。(編集NA)
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