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<動画>南京に暮らす日本人たちの生き様

  南京市政府外事弁公室が発表した統計データによると、南京に定住する日本人は500人前後であり、この数字はどの角度から判断しても少ない数字だといえるだろう。南京に住む日本人の数はごくわずかであるが、その人数すら温度計の目盛りのように微弱ながら変動を続けている。経済や政治のちょっとした変化に合わせて、日本人の数は敏感に反応している。

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兎澤和広さん 

     
     1日だけ南京から完全に「消える」




       兎澤さんが初めて南京に訪れたのは治療が目的で、その際は長期滞在するつもりは全くなかったのだという。兎澤さんは20歳のとき、アトピー性皮膚炎を患い、全身に白い小さな水疱ができてしまい、包帯を全身に巻いた様子はまさに「ミイラ」そのものだった。そんな兎澤さんは中医学に最後の希望を託していた。兎澤さんは雲南省、西蔵(チベット)自治区、内蒙古(モンゴル)自治区などに赴き、医師を探し、ほとんど全ての治療法を試したという。24年経った今でも病気は完治していないが、兎澤さんはすでに南京を離れない決心をし、多くの日本人にとって南京の「ガイド」役を務めている。
     兎澤和広さん

1日だけ南京から完全に「消える」



  兎澤さんが初めて南京に訪れたのは治療が目的で、その際は長期滞在するつもりは全くなかったのだという。兎澤さんは20歳のとき、アトピー性皮膚炎を患い、全身に白い小さな水疱ができてしまい、包帯を全身に巻いた様子はまさに「ミイラ」そのものだった。そんな兎澤さんは中医学に最後の希望を託していた。兎澤さんは雲南省、西蔵(チベット)自治区、内蒙古(モンゴル)自治区などに赴き、医師を探し、ほとんど全ての治療法を試したという。24年経った今でも病気は完治していないが、兎澤さんはすでに南京を離れない決心をし、多くの日本人にとって南京の「ガイド」役を務めている。

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石川果林さん 
     
     「お孫さんが日本人女性と結婚しても構いませんか?」




       石川さんは南京で暮らして17年になる。3人の子供がいて、うち2人は中国籍を持っている。中国では子どもは2人まで生めるとしているため、もう1人は日本籍になった。ここ数年、彼女はますます孤独感を募らせている。彼女のように中国人のもとに嫁いだ日本人女性の中には、嫁姑関係がうまくいかず離婚した人がいる。また、子供の教育のために日本に帰国した人もいる。彼女の周りに残った知人・友人は、ほんの2、3人となった。




「『南京人は日本人が好きではない』-こう思っている日本人は多い。だから、子供や妻をつれて南京に住んでいる人は極めて少ない。多くの日本人が、上海、蘇州、無錫で仕事をすることを好む傾向にある」彼女はこのように話した。
     石川果林さん

「お孫さんが日本人女性と結婚しても構いませんか?」



  石川さんは南京で暮らして17年になる。3人の子供がいて、うち2人は中国籍を持っている。中国では子どもは2人まで生めるとしているため、もう1人は日本籍になった。ここ数年、彼女はますます孤独感を募らせている。彼女のように中国人のもとに嫁いだ日本人女性の中には、嫁姑関係がうまくいかず離婚した人がいる。また、子供の教育のために日本に帰国した人もいる。彼女の周りに残った知人・友人は、ほんの2、3人となった。

「『南京人は日本人が好きではない』-こう思っている日本人は多い。だから、子供や妻をつれて南京に住んでいる人は極めて少ない。多くの日本人が、上海、蘇州、無錫で仕事をすることを好む傾向にある」彼女はこのように話した。

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野尻仁通さん 
     
     「3人でも、30万人でも、忘れてはいけない」




       日本人留学生の野尻仁通さん(24)は、川の向こう岸の人に「呼びかけ」てきた若者の一人だ。野尻さんは中国人の友人とは絶対に政治や歴史について語り合うことはない。




大学3年の時、野尻さんは、中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館に行き、黒い大理石の壁に中国語と英語、日本語の三ヶ国語で「犠牲者30万人」と書かれていることに強い印象を受けたという。紀念館から7キロのところに、「1912バーストリート」があり、野尻さんはそこにある日本料理店の店長をしている。そんな野尻さんは南京で日本人と遊ぶことはほとんどなく、店に来る客のほとんどは中国人で、店を通じて、病院の院長や大学生、企業家、シェフなどの、いろんな中国人の友達ができた。ガールフレンドも日本語を教えている時に知り合った中国人。そのガールフレンドは野尻さんと交際するために北京でしていた企業管理の仕事を辞めて、南京に来て、野尻さんと同じ日本料理店でウェイトレスをしている。野尻さんは「彼女さえOKしてくれたら、結婚するつもり」と話す。 
     野尻仁通さん

「3人でも、30万人でも、忘れてはいけない」



  日本人留学生の野尻仁通さん(24)は、川の向こう岸の人に「呼びかけ」てきた若者の一人だ。野尻さんは中国人の友人とは絶対に政治や歴史について語り合うことはない。

大学3年の時、野尻さんは、中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館に行き、黒い大理石の壁に中国語と英語、日本語の三ヶ国語で「犠牲者30万人」と書かれていることに強い印象を受けたという。紀念館から7キロのところに、「1912バーストリート」があり、野尻さんはそこにある日本料理店の店長をしている。そんな野尻さんは南京で日本人と遊ぶことはほとんどなく、店に来る客のほとんどは中国人で、店を通じて、病院の院長や大学生、企業家、シェフなどの、いろんな中国人の友達ができた。ガールフレンドも日本語を教えている時に知り合った中国人。そのガールフレンドは野尻さんと交際するために北京でしていた企業管理の仕事を辞めて、南京に来て、野尻さんと同じ日本料理店でウェイトレスをしている。野尻さんは「彼女さえOKしてくれたら、結婚するつもり」と話す。

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中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館 
     
     本当の意味で歴史を「銘記」する方法




       中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館の張建軍館長はある本に空の封筒を挟んでいる。封筒には差出人の名前も書かれていなければ、その中には手紙すら入っていない。実はこの封筒は日本の村岡崇光教授が同館を見学した後に、同館長に渡したもので、その中には招きを受けて南京大学で講演を行った時の講演料が入っていたという。




村岡さんは後からの手紙で、講演料を同館に寄付した理由について、「我々の前の世代の同胞がひどいことをした場所から一銭たりとも報酬を受け取ることはできない」と説明したという。前の世代の同胞の贖罪をするために同館にやって来る日本人も多い。数年前、同館には日本人ボランティアの黒田薫さんがおり、彼女の父も中国侵略に参加した旧日本兵だった。60過ぎの黒田さんはいつも解説員事務所の角に座って、黙々と翻訳をしていた。その分厚いノートに書かれていたのは、全て同館の壁に掲げられた説明文の日本語訳だった。
     中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館

本当の意味で歴史を「銘記」する方法



  中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館の張建軍館長はある本に空の封筒を挟んでいる。封筒には差出人の名前も書かれていなければ、その中には手紙すら入っていない。実はこの封筒は日本の村岡崇光教授が同館を見学した後に、同館長に渡したもので、その中には招きを受けて南京大学で講演を行った時の講演料が入っていたという。

村岡さんは後からの手紙で、講演料を同館に寄付した理由について、「我々の前の世代の同胞がひどいことをした場所から一銭たりとも報酬を受け取ることはできない」と説明したという。前の世代の同胞の贖罪をするために同館にやって来る日本人も多い。数年前、同館には日本人ボランティアの黒田薫さんがおり、彼女の父も中国侵略に参加した旧日本兵だった。60過ぎの黒田さんはいつも解説員事務所の角に座って、黙々と翻訳をしていた。その分厚いノートに書かれていたのは、全て同館の壁に掲げられた説明文の日本語訳だった。