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必ず行く

 「靖国神社に行ってみたいな」

 日中関係が友好的な雰囲気の中で進められている今でも、このようなことを言ってしまうと、自分は必ず中国人に睨まれたり、舐められたり、非難をされたりするだろうと思う人が少なくない。

 「しかし、私は靖国神社に行ってみたい」

 このようにな話題になっている靖国神社はいったいどんなところか自分の目で見たいから。

 「行ける? 大丈夫?」驚いた日本人の友達は心配そうな顔で言った。

 「絶対中国語で喋らないでね、日本人っぽい格好して行くほうがいい。ばれるとヤバイ」

 と、中国人の友達が半分冗談半分忠告の口調で言った。

 「そうかな。中国人の友人や親戚などに隠して、日本人っぽく格好して行こうかな」頭の中でこのような考えが浮かんでしまった。

 しかし、このようなばかばかしい考えはすぐに私自身に強く否定されてしまった。

 「政治家ではないし、スパイでもないし、どうして、中国人として正々堂々と行っては駄目なのか。変なことしないと行けないのか」
と私は自分にこのような質問をした。

 靖国神社に行くと言ったら、大勢の人は先に思い出すのは政治や外交などに関する問題であるだろう。そして、恨み、戦争、血など怖い意味がある単語もついに浮かんでしまうだろう。それで、この話題についての話がいつも人にわざと避けられることになってしまうのだから、行くことはなおさらのなのだ。

 「行けるかな」

 と私はさんざん悩んでいる。

 「行かないで、靖国神社の中には中国で絶対許されない罪を犯した人たちが」

 「行ってください。靖国神社の中には国に忠誠をつくして命をかけた人たちが」

 二つの声は頭の中で喧嘩しているようだ。

 どうして大騒ぎに議論しなければいけないのか。歴史上の問題は一方的にいくら証明しても、すぐに誰でも納得する結論は得られないだろう。戦犯英雄にかかわらず、人が平和を祈ったり、戦争で無くなった人を弔ったりすることを動機として、靖国神社へ行くことはどこが間違っているのか。どこが理解できないのか。今では、お互いを憎んだり、傷つけたりして何のためにもならないだろう。それより、寛容な心を持ってお互いに理解し合えて、明るい将来に向かっていく道を築くために、いつもの視点を変えて、人を許してみれば、行く先は広く感じられるだろう。

 昔にこだわって何回も何回も悲しみや苦しみなどを思えば、より息苦しくなるのではないだろうか。昔の悲しみも苦しみも誰でも再び見たくもないだろう。

 それは幸せに暮らしているこの私が歴史を無視するわけではなく、更に歴史を正しく読む上で、輝いた新しいページを開くようにしていきたいのだ。

 「もう戦争の傷口に塩をかけることを止めてほしい。平和を守る人の心を傷つけることをやめてほしい」

 毎日変な情報で人を扇動したり、人に扇動されたりするより、無意味なボイコット事件やデモなどより、向こうの罪を強調したりするより、自分の力で平和友好を維持し、発展しすることが今最も大事なことであるのだろう。学生である私にとっては最も負うべき責任であるだろう。

 両国で行われている戦争を記念することや建てたものなどは人の心の中で戦争の怖さを呼び覚ますためにあるものではない。それは人に歴史を正視するように、いい未来を築くように平和を守ることに努力している最高の証拠であろう。それも人々の純粋な願いという存在であろう。

 中国でも日本でも自分の国のために必死に戦った。自分の国のために命をかけた。それだけで、歴史を尊敬しなければいけないだろう。

 靖国神社であれ、何とか神社であれ、寛容な心を持って、平気で行くことが出来るように精一杯努力したほうがいいのではないだろうか。

 正々堂々と中国人としての私は靖国神社で両国の素晴らしい未来を祈ることが出来る日が必ず来ると信じている。

 その日が来る時、私は、行く、正々堂々と行く、必ず行く。

 (賀逢申 上海師範大学)

 特別提供:日本僑報社・日中交流研究所
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