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恩返しの足跡

 二〇〇〇年六月に、瀋陽市大東区小北関街三十三番のある日系企業の三階に日本語資料室が設立された。本を通して、私は石井康男先生と知り合いになった。

 一階の日本料理店の廊下を通って三階に登っていくと大広間が一つあって、真中に巨大な楕円形の机があり、四面の本棚に各類の日本語教材や辞書や文学作品などが多く並べてある。最初行った時に石井先生が利用方法を説明してくださった。白髪混じりの先生は背筋がまっすぐで、眼鏡の奥の両目が明るく元気一杯であった。

 「日本語の本を読みたいですが、学生でもない私に、貸していただけますか?」と私は尋ねてみた。

 「日本語のわかる人なら誰でも利用できるようにしていますよ」と、先生は名刺を差し出しながら親切に教えてくださった。

 先生は昔の「満州開拓団」の移住者の息子であった。十歳の時に中国人の助けで、敗戦直後に無事帰国できた。一九九八年九月に大阪府立旭高校の第九代校長をしていた先生は辞職され、遼寧大学の日本語教師になった。中国に赴任して初めて、日本語教育に関する最新資料がほとんどなく、どこの学校の先生も学生も悩んでいることを知った。先生はそこで場所の提供可能な日系企業を探して、ボランティア活動センターを通じて日本から教材、辞書などの図書を六〇〇〇冊ぐらい集めて、資料室を創られた。先生は「瀋陽日本人教師の会」を組織して、会員がボランティアで順番に資料室の管理をするようにした。そして瀋陽駐在の日系企業の協力を得て毎年四月に瀋陽各大学の日本語弁論大会を主催して、大変な人気を呼んだ。

 責任感に富んでいて、遼寧大学での七年間において一回も授業に欠席したことがない先生であった。

 二〇〇五年七月に、石井先生は七年間勤めて、全精神を注いだ瀋陽をひっそりと離れて寧波へ赴いた。どうして瀋陽を離れたのか誰も納得できなかった。今になって考えると、石井先生は丁度十年間中国に滞在した。日本にいる妻と娘が遠くから黙々と先生を支えてきた。夏・冬休みの帰国期間以外は全部の情熱を中国に捧げた。

 学生に対する石井先生の関心と愛といえば自分の両親にも勝るほどだと学生が言っていた。学生のために進んで日系企業に実習機会を創ってもらったり、卒業生の就職活動にできるだけの援助をしたりした。学生が必要さえあれば援助の「手」をどこにでも伸ばす。 数年前、遼寧大学の金星美さんが日本に留学し、夏休みに帰国した石井先生が意外にも空港まで出迎えにきてくれたのにびっくりしたそうであった。先生は彼女の生活を心配して、アルバイト先を探して、ボランティアからの無料部屋探しにまで奔走した。

 瀋陽を離れた後、先生は相前後して寧波工程学院、湖州師範学院、浙江万里学院の日本語教師をしていた。瀋陽と同じように先生は「寧波日本人教師の会」を設立して、寧波日本企業人クラブの援助を得て、寧波日本語弁論大会などの交流活動を組織した。

 二〇〇六年、寧波工程学院での「最尊敬教師」の選出活動で、先生が異議なく当選。翌年、湖州師範学院でも「最尊敬教師」を表彰された。

 「歴史を鑑にして日中両国人民の相互理解を強化しなければなりません。十年間で両国人民の友情のために仕事をして幸運です。私は幸いにもこれまでは、学生との交流活動を自由にさせてくれる学校ばかりでした。だから出来ることは何でも時間と手間と費用を惜しまずにやってきました。これは中国人民への恩返しです」と、先日石井先生から受け取ったメールにあった。

 先生が三年前に書いた「高齢者に狭き門」というエッセイが添付されていた。それには瀋陽を離れた原因に触れていた。

 七十歳を迎える際、来学期の採用を考慮してくれまい。

 中国では、七十歳といえばかなりの高齢者と思われ、教育に従事することなど不可能だという固定観念があるようである。日本では七十歳や八十歳でも現役で活躍をしている方々は多くいて、中には九十歳・百歳を越えた方々もいる。社会のために貢献することが出来る人材であれば、年齢に関わり無く活躍の場が保障されている。

 軽いショックを受けたが、初心に帰って心機一転、南の都市へ移動したら、と考えてきた。まだまだ日中友好のために貢献が出来ると自負して、中国で活躍を継続して範となるように頑張らねばと決意を固め、意気を高めた。

 二〇〇〇年と二〇〇四年に、遼寧省人民政府は二回も外国専門家栄誉賞を、二〇〇一年に、瀋陽市人民政府は外国専門家「バラ賞」を先生に授与した。 二〇〇六年七月に、寧波市人民政府は外国専門家「椿の記念賞」を先生に授与した。

 二〇〇八年三月二十六日に、石井康男先生は浙江万里学院に三十本の桜の木を寄贈した。「寧波日報」がその寄贈式の写真を載せて報道した。和服姿の石井康男先生は三年前より確かに幾分衰えたように見えた。桜の花が先生の高潔な人格を物語っているように思われた。

 (李明 私立華聯学院)

 特別提供:日本僑報社・日中交流研究所
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