中国漫画家、日本側の写真資料で戦争の「傷跡」描く
「抗日戦争」(日本の呼称・日中戦争)中に日本人記者が撮影した写真を用いて中国庶民の視点から戦争の傷跡を描いた漫画「傷痕」がこのほど中国全国で発売され、熱い論議を引き起こしている。作者である中国の著名漫画家、李昆武氏は5日、記者の取材に応じ「傷痕」について語った。「中国新聞網」が伝えた。
「日本画報を偶然見つけたことが、『傷痕』を創作するきっかけとなった」と李氏。「日本画報」は明治時代の写真誌で、新聞「日本」の付録として発行されたタブロイド版(全42号、明治37年6月-明治39年10月)。李氏が手に入れた「日本画報」には1894年の甲午戦争(日清戦争)における甲午海戦(黄海海戦)の「支那征伐双六」ゲームの石版彩色絵が刷られている。後に李氏は骨董品店のオーナーを介して旧日本軍の中国侵略戦争に関するまとまった史料を手に入れた。これらの史料には抗日戦争下の中国の政治や軍事、経済、社会分野などに関する写真約5000枚、図表約100枚、数十万字が含まれ、中国で公開されたことはない。
歴史は重々しいものではあるが、李氏はあえてこの漫画を軽いタッチで描いた。「傷痕」は漫画と写真を融合させた珍しいスタイルがとられている。400枚余りの記録写真を用い、盧溝橋事変以降の中国における日本の軍事作戦活動を整理した。「日本軍が北平に進軍してから天津、保定、太原、包頭、青島、上海、南京などを占領したすべての行為が毎日新聞系の『支那事変画報』に記録されている」と語る李氏は、大きな戦いなど歴史上の手がかりを整理する以外に、写真資料を通して抗日戦争中に中国人が不屈の精神で戦った様子や戦況を描き出した。
中でも日本軍人が「中国の無名戦士の墓」に向かってお辞儀をする写真はとりわけ異質だ。「敵同士ではあっても、軍人の間にも敵に対する自己犠牲の精神に敬服し、敬意を表す気持ちが存在していたことが分かる。これは世界の戦争の中でもまれに見る現象だ」と李氏。
作品名を「傷痕」にしたのは、これらの歴史資料を手に入れたことで、李氏や家族の記憶の中にある傷跡が露になったからだ。1938年9月28日、日本軍が非軍事地域で行った爆撃により、李氏の義理の父、肖慶鐘氏は家族3人と右足を失った。漫画の中で李氏は「選択ができるのなら、父は平凡で穏やかな一生を過ごしたいと心から願っていた。しかし戦時下の人々は有無を言わさず選択の権利を奪われる。傷跡は深く痛みは消えない」と述べている。
李氏は「歴史と向き合うとき我々は先入観にとらわれてはならない。客観的な立場を保ち、双方の声を考慮しなければいけない」と主張する。「異なる歴史的背景を持つ日本人と中国人の見方は異なる。中国の庶民が被害者であると同時に、日本の庶民も同様に被害者だ。心を穏やかにさせる一番の方法はあえて思い出してそれを昇華させることだ」
李氏は、現在の若者たちが「傷痕」を通して客観的な角度からこの間の歴史をとらえてほしいと願っている。「歴史を振り返ることは、現実を直視し未来を展望することでもある。これがこの漫画の存在意義だ」。(編集MZ)
人民網日本語版」2013年1月9日