日本との出会い
佳禾培訓学校-李翌寧
私は2010年に幸運的に日本の広島県にある大学に短期留学したことがある。短い留学生活を過ごしていたが、たくさんの暖かい思い出があり、今でもその時のことが映画のように自分の頭の中で浮かんでいる。
初めて日本に着いた時、一人でとても寂しさを感じた。毎日一人で学校に通っていたが、周りの素晴らしい景色を観賞するどころではなく、楽しさを感じる気持ちでもなかった。退屈だとしか思わなかった。一日中、たくさんの授業を受けないといけなかったし、生活費のためにアルバイトもしなければならなかった。毎日四時間のバイトを終え、寝る時間を削って夜中の2時まで勉強を続けていた。週末にも徹夜しながら勉強したが、日本語のレベルが思ったよりうまく向上させることができなかった。学校でクラスメートとコミュニケーションする機会を避けていた私は誰とも接触しなくて、一人で静かなところにいるのが当時の選択だった。そのまま留学の生活が過ぎ去っていた。
ある日、「もしよかったら、授業の後、一緒に食事でもしてくれませんか」と渡辺さんに話かけられ、「おや」と思っていた。渡辺さんと私は同じクラスである。彼女は私と友達になりたいといってくれた。日本語でうまく交流できない私を友達にしてくれるなんて、私はとても感動していた。
その後、渡辺さんは私を自分の家に招いてくれた。私の悩みを優しく耳を傾けてくれたり、いろいろな励ましい物語を話したりしてくれた。「もし李さんは日本でこまったことがあったらどうするの?」と私に問いかけたことがある。あまり考えずに「だったら、国に帰る。」と私は答えた。渡辺さんはしばらく考えた後、「中国に帰るというのも一つの選択肢だが、でも中国の留学生として誇りを持って日本で勉強していてほしい。もちろん、困ったことがあったら、あきらめることは一番簡単であるが、一番難しいのはあきらめないでそれを乗り越えること、または前向きで挑み続けることである。進路が決まったものもそうでないものも関係なしに春は暦通りに来てくるんだから。」と言ってくれた。初めてこのようなことを言われた。外国人に心を開き、同じ社会の一員として受け入れてくれることがとても嬉しかった。
たしかに、私のように短期留学あるいは、長年間留学生活を過ごしている留学生はたくさんあると思われる。そして、最初は私みたいに、日本人の学生と交流するのを避けている留学生もたくさんいるかもしれない。なぜならば、歴史などの問題ではなく、日本語が下手で、うまく自分が話たいことを相手に伝えることができなく、もし、話したことが文法と使った単語が間違ったら恥ずかしいと思うからである。でも、現実的に、留学生の言葉違いを見付けた時、あざ笑うのかわりに、まじめに、熱心に、留学生の気持ちを考えながら、間違ったところを正しく直してくれる方がもっと多くいる。
今、日本と中国の関係は変わっていない。歴史は歴史として忘れることもないが、それは現在の中日友好を妨げにはならない。重要なのは現在と未来であると思う。もし、中国人と日本人がともに私のように、お互いに暖かさを感じることができたら、お互いに対する理解も深まっていくのではないかと思われる。
中日関係に欠けているのは、中日両国住民の暖かさではなくて、欠けているのは暖かさを感じる心だと思う。