このように、フルタイムの女性社員と同じような収入を欲しいと思っている女性を含め、仕事をしたいと考える多くの女性にとって、子供を生むことはキャリアにとってマイナスになるかもしれないという懸念を抱かせる。このため、多くの日本の女性は子供を生みたいと思っても、最終的に決断できずにいる。
シンガポールも日本同様に出生率が低いという問題を抱えている。シンガポールの出生率は日本と比べていいどころか、さらに低い。しかし、この二つの国には本質的な違いがある。シンガポールは移民でこの問題を解決している。
しかし、日本は、移民を排除する国家として有名だ。大和民族の血筋の純潔性にこだわることは、日本人にとって「絶対に正しい道理」であり、この考え方は日本人の身に深く染み付いている。このため、外国の移民を受け入れて出生率の問題を解決するという問題を正面から取り上げて議論する人もいない。移民受け入れによる解決法は基本的に選択肢の1つにも入っていない。それは、一般的な日本人であろうと、政治を動かすエリート層であろうと同じだ。
人々の潜在意識に「我が民族は神聖で、他民族は劣っている」とする考え方がある場合、多くの物事は非常に難しくなる。
たとえば、移民によって人口構造問題を解決するという常識的な政策がこれまでずっと選択肢にあがらず、しかもタブー視されていることからも見て取れる。もし私が日本の政治指導者であれば、例えば中国人や韓国人、ベトナム人といった日本人と外見が似ている民族を引き入れようとするだろう。
実のところ、日本国内にはある程度の中国人、韓国人、ベトナム人、その他国家の人々が住んでいる。あるデータによると、韓国人56.6万人、中国人68.7万人が日本に住んでいるという。
これらの人々の日本語は非常に流暢で、ライフスタイルや行儀作法もすでに日本人と何ら大差はない。これらの日本に住む外国人は日本社会に完全に溶け込んで暮らすことを心から望んでいる。しかし、日本社会は実際、これらの日本で生まれ、あるいは育った外国籍の人々を完全には受け入れていない。なぜなら、日本人はこれらの人々のことを日本民族ではないと見ているからだ。
現在、日本に住む外国籍の人々は、日本の全人口の1.2%を占める。ちなみに英国は6%、ドイツは8%、スペインは10%だ。日本社会の単一性は、日本で学んだ後、さまざまな理由により外国にある一定期間滞在した後に帰国した日本人でさえ適応するのが難しいと感じるほどだ。
言葉の交流はもちろんのこと、他の日本人と同じようにボディランゲージや声で表現する微妙な気持ちや意思表示などを察しなければならない。日本社会は少なくともさらに長い年月を使って、完全に考えが変わるのを待った上でしか、移民受け入れによる最適化や高齢化による人口構成問題の解決を成功させることはないだろう。
問題は、果たして日本に待つ時間があるのか?ということだ。これは非常に大きな疑問だ。このような状況をあと10年放置し、15年たっても解決できなければ、日本はもう元に戻れないほど衰退する可能性がある。その時に解決しようとしても、すでに手遅れだ。
日本はすでに1990年から「失われた10年」を2回経験している。しかも日本はすでに3回目の「失われた10年」に入っている。1960年から1990年までの30年間、日本の平均実質GDP成長率は約6.2%だった。戦争後の廃墟の中から、日本人は恥を忍んで重責を担い、懸命に仕事にまい進してきた。そして、米国に迫り、英国を追い越して、この40年間日本は世界第2の経済大国として君臨してきた。もちろん、これは米国の支援のもとに実現されたものだが。