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更新時間:13:11 Feb 09 2009

CCTV 1992年、明仁天皇が初めて中国を訪問


 日中国交正常化20周年となった1992年の10月23日、世界から数百のニュース・メディアが北京に集まった。この日、日本の天皇が始めて中国を訪問したのだ。

 同日午後1時40分、日本の特別機が北京空港に着陸した。明仁天皇と美智子皇后がタラップに現れたその時、中日の2千年以上にわたる交流に歴史的な瞬間が訪れた。

 この日、「東京新聞」は社説の中で、「この日が日中の新時代を築く転機となることは疑いがない」と述べた。

 しかし、この転機は簡単にやってきたものではなかった。

 中国側が正式に明仁天皇の訪中を要請したのは1992年4月、江沢民総書記が訪日した際だった。このとき日本では桜が満開だった。

 当時、日本側は天皇訪中に対して慎重な態度を見せていた。外務省、日本の世論、政界においても同様だった。

 日本国憲法によると、天皇の訪中には日本政府の決定が必要だった。

 もし日本の世論に変化が訪れれば、当時の宮沢喜一内閣へのプレッシャーも緩和すると見られていた。当時の橋本恕・駐中国大使は、天皇訪中のために奔走した多くの有識者の一人だ。

 天皇訪中を阻止しようとする様々な威嚇も、各方面の努力を無にすることはできなかった。そして7月末、日本の世論にははっきりと積極的な変化がもたらされた。

 8月28日、宮沢内閣はついに決定を下し、天皇訪中に同意した。この日、日本側は首相官邸や中国大使館などの周囲に多くの警察を配備、右翼の活動を厳しく取りしまった。

 1992年10月23日、中国政府は人民大会堂で天皇・皇后夫妻を歓迎する国宴(政府主催の宴会)を開いた。このときの天皇の言葉は、歴史問題を回避することはなかった。

 次の日、「読売新聞」は社説の中で、「天皇の言葉は大多数の日本国民の気持ちを表現したものだ」とした。「日本経済新聞」は「天皇の言葉が、日中両国の友好関係の礎となることを望む」と述べた。

 天皇夫妻が東京に戻った後、共同通信社はこのような評論を述べている。「今年は日中国交正常化20周年だ。天皇皇后の訪中は日中両国の人々の心を近づける新たな出発点となるだろう」(編集SN)

 「人民網日本語版」 2009年2月9日

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