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鳩山由紀夫氏は過去に何度も訪中、小沢氏の政策を補完

 結党当初の民主党は共同代表制を取り、鳩山由紀夫氏と菅直人氏が共同で党代表を務めた。中日関係や外交問題において、鳩山代表は穏健な保守主義者に属し、憲法改正と日本の政治大国化を主張する一方、日本が国際社会でより高い地位を占めるためにはアジア各国との良好な関係の構築が必須で、単なる米国依存はできないとも考えている。したがって、アジア重視、中国重視の姿勢において、鳩山氏と管氏は一致している。「東方早報」が伝えた。

 管氏は中日関係の発展に長年力を尽くしてきた。早くも1984年には、日本青年友好代表団の団員3000人と共に訪中。1987年には社会党の田辺誠書記長と共に朝鮮を訪問する途中で中国に立ち寄り、李先念主席の接見を受けた。1998年に江沢民主席と胡錦濤副主席が訪日した際も、管氏は面会を受けた。1999年には民主党代表として代表団を率いて訪中した。2003年4月にも、再び民主党代表として代表団を率いて訪中し、胡錦濤主席の接見を受けた。

 鳩山氏も中日関係を重視し、何度も訪中している。1996年の民主党結党後、初の訪中団の団長を務めたのが鳩山氏だ。これは鳩山氏にとって、代表就任後初の外国訪問でもあった。鳩山氏が再び民主党代表に就任した際、最初に訪問した国も中国だ。この時、鳩山氏は江沢民主席の接見を受けた。鳩山氏は管氏と同様、「日本は歴史への反省を基礎に、アジア各国と友好関係を構築すべきだ」と強調し、中日協力を一層強化し、アジアの繁栄を促進したいとの意向を表明している。

 管氏と鳩山氏は民主党結党前から、中日関係に関心を寄せ、中国との連絡を保ってきた。初期の民主党は管氏と鳩山氏の指導の下、中国共産党と緊密な関係を築き、中国政府と頻繁に意見交換をしてきたのである。

 03年以降、小泉首相の一連の発言と政策により、中日関係は低迷した。一方民主党は、小沢一郎氏の自由党を吸収し、党内の指導権も岡田克也氏、前原誠司氏ら次世代の政治家がいったん掌握したが、管氏と鳩山氏の存在感は依然大きかった。これは主に(1)管氏と鳩山氏がまず民主党と中国との結びつきの良好な基礎固めをし、後任の党首が中国と連絡を取りやすいようにしたこと(2)管氏と鳩山氏が民主党内で依然、強い政治的影響力を備え、民主党の基本的な対中政策の継続性を確保したこと(3)前原氏がタカ派の立場から「中国軍事脅威論」を打ち出した時、日本国内で率先して反対を表明し、前原氏の発言は民主党の公式見解を代表するものではないと説明したのが、まさに管氏と鳩山氏であること----に現れている。

 小沢氏の代表就任後は、管氏が代表代行、鳩山氏が幹事長を務めた。小泉氏がもたらした中日関係の難局を打開するため、そして、外交政策において自民党を出し抜くため、3人は一緒に民主党代表団を率いて訪中した。中国で3人は胡錦濤国家主席、王家瑞・中共中央対外連絡部長、唐家セン国務委員、武大偉外交副部長らの面会を受け、米国を重視してアジアや中日関係を軽視する小泉首相の外交政策を批判するとともに、民主党と中国共産党との交流の一層の強化などについて合意を形成した。

 小沢時代も、管氏と鳩山氏は民主党と中日関係にとって非常に重要だった。小沢氏も中日友好を主張したが、新保守主義の政治家として有名で、日本が憲法を改正し、軍事力を強化して、政治大国となることを一貫して主張してきた。管氏と鳩山氏は小沢氏の政策に対して、望ましい補完、牽制の役割を果たした。これは今後民主党が対中友好政策を引き続き堅持する上でプラスだ。(編集NA)

 『中日友好交流三十年(1978-2008)』より

 「人民網日本語版」2009年9月2日

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