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新たなスタートラインに立った日本外交

 日本の鳩山由紀夫首相は先日、米国で国連会議や第3回G20金融サミットに出席し、各国首脳と会談した。民主党の外交理念と政策の行方に、世界は注目している。

 第2次大戦後、日本の内政・外交を主導してきたのは一貫して「経済重視・軽武装」の「吉田ドクトリン」であり、憲法改正と日本の自立を訴える「鳩山路線」は「非主流」の地位に置かれてきた。ニクソン訪中という「頭越し外交」の衝撃の下、田中内閣は「自立外交」の道を模索し始めた。1981年5月の日米首脳会談の共同声明で、両国は初めて「同盟」という言葉を使った。日米間には「安全保障条約」があったが、「日米軍事提携」や「同盟」という言葉は、当時の日本人は、まだ相当大きな抵抗があった。後に、中曽根内閣は「対米協調」路線を取り、その経済力に見合った国際的地位を獲得することが、中曽根外交の原点となった。日本は「日米同盟強化」の名の下、米国への軍事技術の提供を通じて相互信頼関係を築くことで、その発言権を拡大させようとした。

 日本に「自立」傾向が生じたのは、その経済発展と直接的な関係がある。1960年から1980年の20年間で、世界のGDPに占める割合は日本が3%から10%に上昇した一方、米国は33%から22%に下降した。外部には「西側の一員」としての役割を日本に求める米国の声があり、内部には「普通の国」になって政治大国化しようとの「新保守派」の願望があった。内外環境の変化の下、日本では「責任と貢献」意識が次第に形成されていった。

 だが、自民党長期政権は、日本が一体「西側の一員」なのか、それとも「アジアの一員」なのかという外交戦略の立ち位置の問題を、終始解決せずにしてきた。小沢一郎氏は民主党代表時代の著作「小沢主義」において、日本は「外交不在」国家であり、特に「対米外交は無定見だ」と批判した。小沢氏は、日本外交の最大の問題は対米関係であるとして、「ひたすら米国に追随する」だけの日本の態度は、「本当の意味の同盟国では決してない」「いわゆる同盟は、双方の相互信頼に基づく対等な関係であるべきだ」と指摘した。

 岡田克也・現外相は05年に発表した「開かれた国益」において、民主党政権は8年間かけて、その外交安保政策構想を実現するとした。岡田氏は、アジアの豊かさと平和の実現、米国の国際協調路線への復帰、武力行使は国連安保理決議に基づくべき、集団安全保障を段階的に規範化する、などの外交構想を打ち出した。岡田氏は「排外的な民族主義、および一国平和主義は、『開かれた国益』と全く相容れない。新政権の外交は『開かれた国益』を追求すべきだ」と指摘した。

 日本外交は今まさに、新たなスタートラインに立っている。(編集NA)

 「人民網日本語版」2009年10月13日

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