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日本「新右翼」解剖 (2)

 1878年に頭山満らが向陽社を結成し、1881年に玄洋社と改名された。「玄洋」とはすなわち、朝鮮海峡を越えて「大陸に君臨する」との意味だ。玄洋社の憲則三条は「皇室を敬戴すべし」「本国を愛重すべし」「人民の主権を固守すべし」と定めている。玄洋社は後に黒龍会、浪人会、大日本生産党、大東塾へと発展した、日本右翼の源の組織だ。1919年には大日本国粋会が結成された。これは「観念右翼」の玄洋社や黒龍会と比較して、「行動右翼」と呼ばれるに至った。この他に、「大正デモクラシー」の過程で欧米思想が大量に流入すると、歴史の舞台に「革新右翼」が登場した。彼らは「組織運動」を強調し、対内的には政治機構改革を、対外的には欧米に依存しない「自主外交」の実現を要求した。北一輝は1919年に結成された猶存社の指導者で、「組織右翼」の代表的人物でもある。「日本帝国の改造、アジア民族の解放」を主張した。

 第二次大戦後、伝統的な日本右翼組織は壊滅的な打撃を受けた。日米両政府の影響の下、親米反共が「戦後右翼」の特徴となった。1970年の三島由紀夫の割腹自殺後、「民族派」の「新右翼」が政治の舞台に登場した。彼らは右翼運動の「原点」に復帰し、「観念右翼」と「組織右翼」の「正統」を継承することを主張。1972年、鈴木邦男らが「新右翼」の代表的組織「一水会」を結成した。その政治理念は、戦後のヤルタ体制を否定し、対米自立を主張し、「文化天皇主義」を唱導し、天皇の政治利用に反対し、「世界各民族の団結・尊重を主張することだ。こうした表面的には新しい右翼も、実際には聞き飽きた右翼の主張を繰り返している。

 「新右翼」は人数こそ多くないが、その政治理念は現在の一部の日本人の社会心理を反映しており、影響力を拡大し続ける傾向にある。これはわれわれが現在の中日関係を観察する上で、注意すべき1つの問題かもしれない。(編集NA)

 「人民網日本語版」2010年9月7日

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