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評論:私たちは日本を、世界は私たちを見ている

 文=喬杉

 小さな存在の一個人、大きな存在の民族に至るまで、その情操と精神は、常に特殊な事件や事故による鍛錬と試練を必要としている。たとえば、汶川の大地震や舟曲の超大規模な土石流で、私たちは多くものを失ったが、精神的に私たちに報いてもくれた。このとき、日本の強い地震と津波で私たちは再び試練に立たされた。あの隣国の生命ために灯したろうそくと、顔を流れ落ちた涙は、私たちを慰めてくれた。「中国青年報」が伝えた。

 歴史的にかつてなにが起きたかにかかわらず、人類にとって、すべての事件や事故はどれも歴史の一片に過ぎない。人類を終始貫くものは、生命の大切さと幸福の追求であるはずだ。人類に永久不変の敵がいるとすれば、それはただ一つ、すなわち災難である。災難の前では、あなたがゾウであろうと、アリやケラであろうと、いずれも無為に過ごす欲があり、いずれも無力感がある。かつての恩と情、恨みと仇は、甚大な津波と地震のなかで、あのように言うに値しなくなった。このとき、生命のみを大切にし、生命のみが魂に触れるのである。私たちは生命の賛歌を響きわたらせなければならない。生命がなによりも重要であり、生命がなによりも慈しむものだからだ。

 いま、私たちは隣国を見ている。隣国で起きたすべては、私たちがよく知らないものも、また私たちがよく知っているものもある。私たちはよく知らない、巨大な波がなんと10メートルの高さまで巻き上がったことを。私たちはよく知らない、原子力発電所が一瞬にしてなんとあのように恐ろしいものになったことを。私たちがよく知らないのは、災難の程度、損害の物理的な細部に過ぎない。

 だが、私たちはよく知っている、災難を前にした、あのように無力なまなざし、あのように空虚な心、あのように生存への限りない熱愛と温情への限りない渇望を。このまなざしと心、熱愛と渇望は、汶川大地震でも、舟曲の超大規模土石流でも、数え切れない災難を前にしながらも、私たちにもあった。心はこの心と、情はこの情と同じであり、隣国に向けられた目に、私たちは水のようなやさしい心を見てとり、インターネット上では、普通の市民がエールを送っている。昨日、中国救援隊が日本に到着した。これは人類共通の情感である水のようなやさしい心、生活があのように麗しいものに、と願ってのことだ。

 「橋の上に立って風景を見てほしい、風景を見た人は建物の上であなたを見ている」。このとき、私たちは隣国を、隣国は私たちを、世界も私たちを見ているのだ。

 どんな姿で世界の前に現れるべきか。これは復興に向かっている民族が一貫して回避できない問題でもある。その姿は一種の複合体であり、一言では言いつくせないものの、その姿には必ず素朴な情感が内包され、必ず生命を見守るものがいる。他者の災難に友愛の手を差しのべれば、だれもあなたを敵視することはなく、逆にあなたを高く評価するだろう。リンカーンはこう語った。「一つの民族が他の民族に対し長期にわたり仇と恨み、あるいは崇拝の気持ちを抱くことは、一種の弱国の心理である。こうした心理を超越し、とくに災難を前にして一種の前向きな心理をもって他者に対することは、一つの民族の成熟さを体現している」と。地震と津波が発生したばかりで、死傷者数もまだはっきりしていなかったが、あるメディアは経済への影響の問題を議論する番組を中断した。あの灯したろうそく、顔を流れた落ちた涙は、生命への尊重であり、私たちに、世界にも一種の自信のある成熟さと美しさを見せてくれた。

 だれも歴史を一つの側に捨てさることはできず、いかに歴史と現実の関係を処理するかが、すべての人の必修課目である。「戦争が起きれば、銃を抱いていちばん先を突き進むだろう。救済に赴けば、担架を担いでいちばん先を走るだろう」。こうした言葉が好きである。ネット上の友人が言うように、「これが私の心にある真の男である」。これも、私の心にある中国人である。

 「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年3月16日

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