2012年10月18日    メールマガジン登録I-mode登録中国語版日本版
人民網日本株式会社事業案内  更新時間:14:28 Oct 18 2012

第二次大戦の歴史の決定を覆すことは許されない

--釣魚島問題の真相を論じる(三)

 中国には「信、国之宝也、民之所憑也」という古くからの言葉がある。国が国際社会に立脚して、他国の尊重と信用を勝ち取るには、信用を重んじて約束を守り、正大に事を運ばなければならない。周知のように、カイロ宣言とポツダム宣言に基づき釣魚島およびその付属島嶼(日本名・尖閣諸島)は「日本が中国から盗み取った領土」として、中国に返還しなければならない。だが日本は近頃、カイロ宣言とポツダム宣言は連合国の一方的な政治宣言であり、国際法としての効力を欠くとの謬論をぶち上げている。これは極めて馬鹿げた主張で、愕然とさせられる。

 カイロ宣言とポツダム宣言は第2次大戦後の国際秩序の法的基礎を成す。1945年8月10日、日本政府は自ら連合国に降伏申し出の覚書を提出し、ポツダム宣言の規定を受諾した。8月15日、日本の天皇は「終戦の詔書」を発し、「米英中ソ4国の共同宣言の受諾」を表明した。9月2日、全世界が歴史的な一幕の証人となった。東京湾上の米戦艦ミズーリ上で、日本の重光葵外務大臣が天皇を、梅津美治郎参謀総長が軍を代表して、米国、中国、英国、ソ連その他戦勝国代表と降伏文書に署名したのだ。日本側は降伏文書で「1945年7月26日に米国、中国、英国がポツダムにおいて発し、後にソ連が参加した宣言の条項の受諾」を明確に約束した。紙に書かれた揺るぎない証拠があるのだ。試みに尋ねるが、もし日本の言うようにカイロ宣言とポツダム宣言が一方的行為で拘束力を備えないのなら、降伏文書上の日本の署名はどう解釈するのだ?連合国はなぜこれに基づき戦争を終結したのだ?カイロ宣言とポツダム宣言は当時の連合国の対日戦争終結の前提条件であり、アジア諸国を始めとする国際社会が戦後に日本の国際社会復帰を受け入れた前提条件でもある。今日本がカイロ宣言とポツダム宣言に公然と疑問を呈すことは、事実上、世界反ファシズム戦争の勝利の成果を否定し、戦後国際秩序に挑戦しようと企てることである。

[1] [2]

印刷版|コピー|お気に入りに登録
  • 分かち合うへrenren.com
  • 分かち合うへt.qq.com
みんなの感想

名前

コメントを書く コメント数:0

   

最新コメント
  週間アクセスランキング
  評 論
  中国メディアが見る日本 
  おすすめ特集

地方情報

北京|天津|上海|重慶|吉林|遼寧|河北|山西|山東|河南|江蘇|浙江|安徽|福建|江西|湖北|湖南|広東|広西|海南|四川|貴州|雲南|西蔵|青海|陝西|甘粛|寧夏|新疆|香港|澳門|台湾|黒竜江|内蒙古