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日本政府が「尖閣諸島」の名称を正式に使用したのは1972年から

 日本外相は少し前の記者会見で「1960年に中国で発行された世界地図は釣魚島(日本名・尖閣諸島)を日本の名称の『尖閣群島』『魚釣島』で表記しており、中国側がかつて釣魚島を日本領と認識していたことを示している」と述べた。また、1920年に「中華民国」の駐長崎総領事が「沖縄県八重山郡尖閣列島」と書かれた感謝状を日本に出したことに触れ、中国は元々釣魚島を自国領と見なしていなかったとの認識を示した。筆者はこの問題に関して、いわゆる「尖閣群島」と「尖閣列島」との名称の由来を考証してみる必要があると考える。(文:廉徳瑰・上海国際問題研究院アジア太平洋研究センター副主任。新華網掲載)

 「尖閣群島」も「尖閣列島」も釣魚島などの島嶼に対する日本側の総称であり、19世紀中頃にまで遡る。1845年6月、英国の軍艦「SAMARANG」のEdward Balcher船長の航海日誌には、釣魚島周辺海域の調査に関する記述があり、「SAMARANG」の調査に基づく海図は後に英国海軍の水路図における釣魚島周辺島嶼の名称の基礎となった。図中にある「Pinnacle Is」の呼称は、釣魚島に付属する島や礁を指すのに用いられた。英語の「Pinnacle」は「頂上」「先端部」または教会の尖塔を意味する。1853年に米海軍のペリー代将が中国、琉球、日本沿海を測量調査し、英国で出版した『中国海図志』にもこの呼称が用いられている。1870年に中国江南製造局編訳処が同書を翻訳・出版した『海道図説』はこの呼称を「凸列島」と翻訳し、後には「衆尖島」との訳もあった。

 日本人で最も早くこの呼称を使用したのは沖縄県師範学校の教師、黒岩恒だ。1900年5月3日から20日にかけて、黒岩はすでに釣魚島の一部を借り受けていた古賀辰四郎らと釣魚島のいくつかの島や礁に上陸して調査を行った。同年8月に黒岩は日本の『地学雑誌』に「尖閣列島探検記事」と題する調査報告を発表。「いわゆる尖閣列島とは、わが国沖縄と清国福州の間の小さな島嶼である」「その位置の関係から、古来沖縄県人の知るところではあったものの、今日にいたるまで総称がなく、地理学上大変不便であるため、私の考えで尖閣列島と称する」と指摘した。黒岩はこの列島は地勢と地質上の特徴に基づき、およそ甲乙の2つに区分できると考えた。甲には釣魚嶼および尖閣諸嶼、乙には黄尾嶼(日本名・久場島)などが含まれる。また、黒岩は「尖閣列島」と「尖閣諸嶼」の2つの言葉を用いたが、共に英語の「Pinnacle Is」に由来することは明らかである。

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