安倍晋三の苦しい踊り
日本の新しい首相となった安倍晋三氏は最近、中日関係、日米関係、国内政策について一連の立場を表明したが、全体として方向がはっきりせず、迷って決断できず、情報が混乱しているとの印象を人々に与える。なぜこのような事になるのか。安倍氏の直面する情勢と試練が確かに複雑かつ厳しいもので、近代以降未曾有のものとさえ言えることが大きいと筆者は考える。(文:偉達・国際文化戦略研究と諮問の専門家。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
歴史の変遷の過程から見ると、日本は現在、周辺の群雄の台頭という状況に直面している。1990年代まで、日本は第2次大戦で敗戦を喫したとはいえ、依然アジアを相当リードする地位にあった。当時の日本は東側の米国とは勝負にならないし、北側のソ連とも拮抗が困難だったが、西側と南側の伝統的アジア諸国と地域に対しては依然余裕綽々だった。
だが今や事態は変った。東アジアでは中国と韓国がすでに台頭し、台湾地区と朝鮮もすでに弱者ではないし、東南アジア諸国も積極的に発展を図っている。日本は今後何を捨て何を取るか、どのように自らを位置づけるか、どのような発展戦略を取るか、いずれも策を練り、決定することが急がれている。
昔からの政客が新たな試練に遭遇した。安倍氏は政治の舞台において、関心の全く異なるいくつかの観客層に向き合わなければならず、しかも自らの公演がその全てから拍手喝采を浴びることを望んでいる。これは口で言うほどたやすくはない。
米国に対しては日本は当然愛憎入り混じっている。「愛」は米国が今なお日本を西太平洋の安全と利益を守るうえで要のパートナーと見なしているうえ、中国の台頭への日本の対応を支持する可能性があるからだ。「憎」は米国が第2次大戦以来、今なお「孫悟空の頭の輪」のように日本を締め付けており、日本の政治、経済、安全保障政策の選択と方向のほぼ全てを支配しているからだ。安倍氏はどう行動すれば「サムおじさん」を喜ばせられるのだろうか。これは回答が難しい。「サムおじさん」自身もここ数年、大変途方に暮れているからだ。1つはっきりしていると言えそうなのは、「サムおじさん」は日本の肩を持って中国を制約する必要があると同時に、日本を完全に独り立ちさせるわけにもいかないということだ。このため日本の頭の「輪」を、すぐには外すわけにいかないのだ。