日本の歴史観の後退は国際社会から強く非難されるべき
国連の潘基文事務総長は26日「政治指導者が正しい歴史認識を持って初めて、他国の尊敬と信頼を得られる」と述べた。この発言が伝わるや、日本の右翼政治屋は「中立」性を欠くと非難した。だが、国連自体がドイツ、日本、イタリアのファシズムに対する世界の人々の勝利の産物なのであり、国連憲章の趣旨は「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救う」ことだ。したがって、戦争の歴史の根本的是非に関わる問題において、国連に「中立」を要求することこそが、問題視するに値するのである。(文:劉江永・本紙特約論説員、清華大学現代国際関係研究院副院長。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
国連事務総長は根拠なく忠告を発したのではない。安倍首相は再任後、歴史観の問題で深刻な後退を見せている。靖国神社問題では、今年4月の春季例大祭では直接参拝こそしなかったが、祭具の「真榊」(まさかき)を奉納した。8月15日にも「自民党総裁」として、代理人を通じて「玉串料」を奉納し、形を変えた参拝を果たした。安倍首相のこの行動はアジア隣国や米国などの一層の非難をかわすためであると同時に、その歴史観にいささかも変化がないことをはっきりと示すものである。今年10月の秋季例大祭で安倍首相が靖国神社を参拝するかどうか、なお見守る必要がある。
それ以上に注視されるのは、今年8月15日に安倍首相が「全国戦没者追悼式」での式辞(略称「安倍談話」)で、歴史の加害者としての日本の責任と不戦の誓いに一言も触れなかったことだ。このうち、少なくとも以下の2点が日本政府の歴史観の深刻な後退を物語っている。
その一、「安倍談話」は1993年の細川護煕首相以来20年間、日本の首相が継承してきた8月15日の式辞の基調を根本的に改めた。細川首相は当時「アジア近隣諸国など全世界すべての戦争犠牲者とその遺族に対し、国境を越えて謹んで哀悼の意を表します」と表明。その後20年間、歴代首相はこの基調をおおむね継承してきた。