亡霊参拝行為は袋だたきにせねばならない
安倍晋三氏は17日、「内閣総理大臣」名で靖国神社に供物を奉納した。安倍氏の間接的亡霊参拝はこれですでに今年3回目だ。(人民日報「鐘声」国際論評)
安倍氏は「国のために戦い、犠牲となった英霊に崇敬の念を表するのは当然」と公然と言い放つ一方で、靖国参拝はすでに外交問題となっているため、自ら参拝するかどうかは「言わない」ともったいをつけて表明した。
この心中やましくてびくびくしている詭弁に何の意義があるのか?形式の如何に関わらず、昔日の戦犯にひれ伏して礼拝を捧げるのは軍国主義の魂を呼び戻すことであり、アジア各国民の感情を深刻に傷つけることであり、現有の国際秩序への公然たる挑戦なのである。供物奉納と自ら参拝することとは完全に性質が同じであり、何の違いもない。
安倍氏が熱を入れる「バランス」は安っぽい小細工に過ぎない。理由は簡単だ。根本的是非の問題において、バランスの余地など全く存在しないからだ。