2008年12月8日    中国語版日本版
更新時間:17:13 Dec 08 2008

流動人口、親子世代間で異なる夢(2)

 ▽息子の夢

 その息子・張波さんの夢は、「広州はビジネスチャンスに溢れた街、自分の会社を持ちたい」とのことだ。

 張波さんは2004年に大学を卒業後、父親を追って広州にやって来た。彼は最初から起業という夢を追いかけたが、どれも順調とは言えなかった。

 張波さんは「父のように肉体労働で稼ぐのはビジネスじゃない。ビジネスは、技巧があってこそできるものだ。広州に来たばかりのころ、父に、内装会社を設立し、請け負った仕事を他の内装屋に下請けさせれば、会社も大きくなるし、利益も上がる、それに肉体的に辛い仕事をせずに済む、と提案したことがある」と述べている。

 父親が反対の意見であったため、息子が提案する会社は結局成立せず、張波さんは、インターネット上で、父親の仕事を広げるしかなかった。広州の不動産関連のウェブサイトや、住民区のコミュニティサイト上で、「広州一新内装チーム」の名で、メッセージを残し、見積もりを出し、内装関連の専門意見を述べ、連絡方法を記載する。このネット上での効果は明らかで、張広軍さんの業務量は倍に増えた。息子がネット上でビジネスを広げ、父親が実際の仕事でいい評価を残し、その口コミで仕事は増えていく。息の合ったふたりのペアは相乗効果を上げた。だが、父親は資金を出すことを認めないため、会社を設立するという息子の夢は実現していない。

 張波さんは大学で金融証券を専攻していた。自分で起業資金を稼ぐために、2007年、父親から3万元を出してもらい、株式投資したが、それまで勢いの良かった株式市場が上げ止まり、上海総合指数が5千ポイントまで下がった時点で撤退したため、いくらも稼ぐことは出来なかった。

 広州に来てから2、3年経ち、父親の仕事への張波さんの興味は冷めていった。内装施工業は「ローエンドな産業」なので、長期間従事することではないと張波さんは言う。株式市場から撤退後、張波さんは貿易に目をつけた。最初、内装資材の輸出を考え、その後、照明器具の輸出に従事したいと考えるようになった。だが、今回の金融危機により、張波さんの計画も立ち消えてしまった。

 張波さんは「何をしてもうまくいかない。株式投資を思いついたときには株式市場が上げ止まり、貿易会社を立ち上げたいと思ったら、金融危機に見舞われた」と述べている。張広軍さんは、息子がこのようにあれやこれやと手を出し、時間を無駄にするのではなく、始めから大手企業に就職することを望んでいる。

 それに対し、張波さんは「自分の会社を立ち上げたい、という夢をすでに3、4年も頑なに守ってきた。あともう少し、がんばってみたいと思う。来年、どうしても叶わないのなら、仕事を探そうと思っている」と述べている。(編集WM)

 「人民網日本語版」2008年12月08日

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