2009年1月20日    中国語版日本版
更新時間:15:35 Jan 20 2009

旧チベットの封建農奴制


 1959年の民主改革以前、西蔵(チベット)は長期にわたって、僧侶や貴族による独裁が行われる政教合一の封建農奴制社会だった。その暗黒さと残酷さは中世欧州の農奴制にまさるとも劣らないものだったという。

 関連史料によると、旧チベットでは、人口の5%足らずの官僚や貴族、寺院の上層僧侶らが農奴主となり、チベットのほとんど全ての耕地や牧場と大部分の家畜を所有していた。農奴は旧チベットの人口の90%以上を占めていた。農奴主は農奴の身体を所有し、農奴を私有財産として思いのままに支配することができ、売買や譲渡、贈呈、弁済、交換なども行うことができた。1950年のチベットの人口は100万人だったが、そのうち住宅のないものは90万人にのぼった。

 農奴主は、労役や高利貸し付けを通じて、農奴に対する苛酷な搾取を行っていた。当時のチベット政府が課していた労役や税金の種類は200種類以上にわたっていた。農奴主の搾取分は農奴の労働量の50%以上を占め、ひどい時は70%から80%を占めていた。

 農奴らは長年にわたってまじめに働いても衣食さえ確保することができず、年利20%から30%の高利貸しに頼らなければならないことが多かった。これらの借金は雪だるま式にふくらみ、払い終わりようのない債務として子孫に引き継がれたり、債務者と保証人を破産させたりした。

 チベットの地方統治者は一連の法律によって農奴主の利益を維持していた。チベットで数百年にわたって通用していた「十三法典」や「十六法典」は、人間を3等9級に分け、地位の不平等を法律面から明確に規定していた。農奴主は成文法と慣習法に基づき、監獄や私牢を作った。地方政府は法廷と監獄を持ち、大型寺院も法廷や監獄を持ち、領主も荘園内に私設監獄を持っていた。刑罰も非常に残酷で、目をえぐる、耳をそぐ、手を切る、足を切る、足の腱を取る、水に投げ込むなどの行為が行われていたとされる。(編集MA)

 「人民網日本語版」2009年1月20日

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