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釣魚島発見、中国人は日本人より76年早かった

蔡根祥氏(右)と蕭相ガイ氏

 南京にある朝天宮骨董(こっとう)市場で発見された一冊の古書に、両岸四地(大陸部、台湾、香港、マカオ)と日本の学界を驚愕させる史料が現われた。中国人の釣魚島発見は、日本人より76年早かったのだ。これは清代の名書「浮生六記」の逸文である。今回見つかった古書は、清代の学者・銭泳の直筆した「記事珠」。銭泳が自ら記した抄録に間違いなく、沈復が記した「浮生六記」の第五記「海国記」を留めている。「揚子晩報」が20日伝えた。

 日本が釣魚島に対する主権を主張する理由のひとつに、日本人・古賀辰四郎が1884年に同島を「発見」したことが挙げられている。しかし沈復が釣魚島を発見したのは1808年で、日本人より76年早かった。

 海峡両岸(大陸部と台湾)学者が19日に南京に集い、銭泳の抄本「海国記」に対してさらなる考証を行った。台湾師範大学国文研究所の蔡根祥・教授、江蘇省社会科学院文学所の蕭相ガイ・元所長、古書を発見した彭令氏は「揚子晩報」記者の独占取材に応じ、同書の発見と検証にまつわる紆余曲折の数奇な縁を語った。

 彭令氏は山西省晋中市平遥県在住の蔵書家で、2005年秋に南京市内の朝天宮骨董(こっとう)市場で「記事珠」を発見し買い求めた。売主はその価値をまったく知らなかったという。

 彭氏は深く読み込んだ結果、銭泳の抄本「記事珠」の中の「海国記」は、「浮生六記」の中で遺失されていた五巻目「中山記歴」であることを発見した。彭氏は自身の研究結果を蕭相ガイ・元所長に示したところ、蕭元所長も彭氏の観点に全く賛同した。また海峡を隔てた台湾で「浮生六記」を研究する学者である蔡根祥・教授は彭氏の研究をさらに積極的に支持した。

 彭氏は「浮生六記」に対する研究の中で、西暦1808年、沈復が使節として琉球に向かい、「海国記」の中で「浮生六記」に、沈復の航海途中での見聞が記されていることを発見した。船が琉球との境に差し掛かったとき、沈復は釣魚島海域の鮮やかな様子を55字で簡潔だが生き生きと記している。「十三日の辰の刻に釣魚台を見る。筆かけの如し。かなたには黒水溝あり。見渡せば白燕はカモメの如く、群れをなしている。風向きが変わる。十四日早朝、姑米山が現われる。琉球界に入りたり」。蔡教授が記者に語ったところによると、抄本上に記された釣魚台とは釣魚島を指すという。

 沈復のこの記述は、解決しがたい論争に確固たる証明を提供している。文中では琉球国西部領域が姑米山(現在の沖縄県久米島)から始まり、黒水溝は中国(清朝廷)と琉球国の分界線で、釣魚島が中国領域内にあることをはっきりと、明確に指摘している。

 蔡教授の認識では、銭泳は沈復と同一時代の人物で、銭泳が「浮生六記」全文を読破したことは間違いないという。この部分の記述は有名な大文人の手によるもので、いかなる政治的要素の影響を受けることはなく、不注意な結果出た結論ではなく、正式な官吏文献と比較してより信頼性は高く、説得力も増す。

 沈復は清代の文学家。1808年、朝廷の命による琉球王国の冊封のため、正使として斉鯤、侍御の費錫章が副使として派遣され、沈復は大使の「記録係」として共にした。

 銭泳は同じく清代の著名な学者。書の大家でもある。長年にわたり幕客(秘書)を務め、その足跡は長江の南北にわたっている。(編集HT)

 「人民網日本語版」2010年6月21日

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