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中国外交官が語る日本からの中国人避難「鍵はバスだった」 (3)

 我々は大使館緊急通告の原則に基づき、お年寄り、子ども、女性を優先、秩序ある避難を図った。まず中国パスポートをチェック、さらに列をなしていた国民を20人1組に分け、ボランティアを募り、彼らに優先対象者を選ぶのを助けてもらった。満員のバスから出発した。午後6時半から8時半頃までに、全5台のバスは順調に仙台を離れ新潟に向かった。我々は2時間にも満たない間にお年寄りの付き添い、幼い子どもを抱えた親ら約300人の選別と出発業務を終えた。緊張の中、秩序ある、効率的な避難業務だった。ある東北出身の若者は我々のところまでわざわざ駆け寄り深々とお辞儀をし、無言の感謝を伝えた。

 避難の鍵はバスだった。初日の避難状況から、我々は16日が避難のピークになると予測、大使館と新潟総領事館の尽力で大型バスを最大7-9台、チャーターできることになったが、実際の需要からは依然かけ離れていた。しかしこの時、仙台在住20年以上の日本国籍中国人、張セショウさんがバスの確保で大きな力を貸してくれた。張さんは中国語学校の教師で、仙台国際センターのボランティアでもある。15日夜、彼女は山形県のバス会社に連絡、大型バス15台をチャーターした。16日は午前8時過ぎから午後7時まで、我々は15日に成功した方法に従い、1台ずつ国民を乗せ、満員のバス20台を送り、計1100人以上を避難させた。最後の1台が発車した時、集合場所でバスを待っている人はいなかった。

 15日から18日午後4時まで集合場所は固定され、我々は4日間で大型バス計35台を動員、1800人以上の避難に成功した。中には華僑、留学生、研修生のほか、香港・台湾人、日本国籍華人および残留孤児が含まれた。数日来、張さんは自分の仕事を休み、早朝から深夜まで我々に付き添い、避難作業を助けてくれた。彼女はこのため2人の子どもの避難の機会を失い、子どもたちは友人に依頼し帰国することになった。我々は深く感動を覚えた。

 支援した同胞が熱い涙を浮かべながら「祖国万歳」と叫ぶ姿を目にした時、我々は全ての努力のかいがあったと感じた。(筆者 劉敬師、中国新聞社(東京支局)30日付)(編集HT)

 *トウ:「登」に「おおざと」
 *セ:「施」のつくりに「しんにょう」
 *ショウ:「捷」のつくりに「おんなへん」

「人民網日本語版」2011年3月31日

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