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見知らぬ人に囲まれた社会でいかに信頼を築くか (2)

 人は、時間を共に過ごさなければならない“見知らぬ人”を“知り合い”へと変えて、コネを作っておきたいと本能的に考えるのが普通だ。なぜなら、知り合いの人の方が信頼しやすく、コネがあれば何をするにも便利だからだ。一方、偶然出会った“見知らぬ人”はというと、信用しないというのがやはり本音だろう。公共の場所では盗まれないように自分の鞄をしっかりと見張り、知らない人に鞄をしばらく見るよう頼まれたら、大半の人が首を横に振るだろう。知らない人が助けを求めてきたら、「罠じゃないだろうか」と心の中で疑ってしまう。スリを発見しても、報復が怖くて関わりたくないと思ってしまう。また、それに追い打ちをかけるかのように、「交通事故に巻き込まれた人を助けて、加害者だと濡れ衣を着せられる」「正直に拾ったお金を届けると、お金が減っていると言われる」などの事件が発生し、人々の警戒心をさらに強め、「人助けは災いのもと」という考えを植えつけてしまっている。

 このように互いを信用しない社会の中で生きていくためにかかるお金は増え、人々も消極的な感情を抱くようになっている。しかし面白いことに、見知らぬ人とはなるべく関わらないことが、自分の利益を守る手段と考えておきながら、「今の人は冷淡」「道徳が腐敗してしまった」と嘆き、他人は「良心が麻痺し思いやりに欠ける」「人が溺れているのを見ても助けようともしない」と批判する一方で、自分の家族や友達には何かあっても絶対に関わってはいけないと注意するという矛盾した心理状態が人の中には存在する。つまり、人は心の中ではやはり、人の暖かさや良識、古くあった美徳を求めているのだ。この過去の“顔なじみに囲まれた社会”から“見知らぬ人に囲まれた社会”へ変化を遂げる過程で、我々は信頼できる社会の構築を目指さなければならない。

 “見知らぬ人に囲まれた社会”が必ず人を冷淡にさせるというわけではない。もし、“顔なじみに囲まれた社会”の中で、道徳が自分や他人を制御し、秩序が保たれているというならば、“見知らぬ人に囲まれた社会”では、互いをよく知らず、人の入れ替わりが激しいため、他人の行為を規制する道徳が低下する。そうなれば、法律や規制を設けることで社会の人々の秩序を保たなくてはならなくなる。法律制度の整備された法治国家では、法律が中立、公正、権威の源となり、社会の人々から最も信頼される存在となる。そのような社会においては、見知らぬ人と交流する際、相手の状況をよく知らないとしても、もし詐欺的行為にあったら、必ず法的手段によって物事を正し、公正な裁きが下されるということは確信できる。そのため、見知らぬ人が倒れていれば、必ず助けるだろう。なぜなら、万が一詐欺にあっても、法律が真相を追究してくれ、詐欺を働く者をさばいてくれるという確信があるからだ。

 信頼の再構築といのは体系的な事業で、学校で道徳教育を行い信頼の大切さを教え込むことが極めて重要だ。しかし、全く知らない二人が何かを共同で行い、そこに複雑な利益関係が関係する場合、そこに道徳が存在するかどうかは誰にも分からない。つまり、今肝心な事は、法律制度の権威を確立し、人々が「法律は悪を裁き、善良な者を守ってくれる」との確信を持てるような社会を構築することで、そうなれば人はおのずと規則に基づきながら、利他的に行動するようになるに違いない。 (筆者 白天亮/編集KN)

 「人民網日本語版」2011年9月23日

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