2012年3月6日    メールマガジン登録I-mode登録中国語版日本版
人民網日本株式会社事業案内  更新時間:08:13 Mar 06 2012

佐藤専務の感動の救出劇から1年 中国人研修生の恩返し

現在、25人の中国人研修生が女川町に戻って働いている。

 日本の華字紙「日本新華僑報」は5日付で、東日本大震災から間もなく1年を迎えるに当たり、壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市女川町を取材した蒋豊総編集者の記事を掲載した。以下はその抜粋。

 3月3日午前、ちょうど1年前に大地震に見舞われた女川町は真っ白な雪に覆われていた。その厳しい寒さが、永遠に忘れることができない記憶をさらに切なくしている。昨年の3月11日、千年に1度ともいわれた大地震が女川町を襲い、1千人近い命を一瞬にして奪った。さらに今でも、300人以上の行方が分かっていない。現地の人は広大な海を指しながら、「みんなまだこの中……」と言葉と詰まらせる。

 同町の水産加工会社「佐藤水産」の佐藤充専務が当時、中国人実習生20人を優先的に避難させて自らは津波の犠牲になったエピソードは、中国でも大きく報道された。同社の山田広康外務担当は同エピソードを繰り返すのではなく、「大地震が発生した時、近くの『長栄水産』の遠藤社長夫人も、山東省から来た研修生15人を連れて高台に避難したが、75歳の社長や専務など16人は無情にも津波に呑まれてしまった。今でも、社長夫人は夫を奪ったこの地に戻ろうとはしない」と涙ながらに語った。

 亡くなった佐藤専務の家があった場所に来てみると、基礎や駐車場などのコンクリートの部分と鉄製の玄関などだけが無残な姿で残されていた。他の物はすべて、大津波に流されてしまったという。20人の中国人研修生を救った佐藤専務がかつて暮らしていたこの場所を前に、ただただ頭を下げずにはいられなかった。命が危険にさらされたまさにその時に、示された真の愛を前に…。

 佐藤専務の家からそう遠くない山の上に神社があるのを目にした。地震発生後、佐藤専務は時を移さずして中国人研修生20人をこの神社に連れてきた。佐藤さんは、研修生らを急き立てながら、大股で神社の階段を駆け上がり、半分ぐらいまで来た所で研修生らと迫る津波を振り返って、「もっと早く上って!」と叫んだという。

 現地の人が「聖域」とする神社の本殿は通常堅く閉ざされており、何か祭り事がある時以外、一般の人は入ることができない。当時、佐藤専務はその「聖域」の門を急いで開け、手持ちのお金すべてを投入。「神様、ごめんなさい」と叫んだ後、研修生を入らせ寒さをしのがせたという。みんなが落ち着いたのを確認した佐藤専務は、会社に戻らなければならないと言い残して、一人下山。それが、佐藤さんとの最後の言葉になるとは、研修生の誰も夢にも思わなかった。

 今年2月に再来日した研修生の一人、叢偉さん(32)は「当時、津波は引いて行くように見えた。私たちは山の上から、佐藤専務が会社の屋上にいるのが見えた。降りるところを探しているのに、見つからないように見えた。ちょうどその時、再び津波が襲ってきて、佐藤専務を呑みこんでいくのが見えた……」と目を真っ赤にして当時の様子を語った。

[1] [2]

  評 論      プレスリリース
  中国メディアが見る日本 
  おすすめ特集

地方情報

北京|天津|上海|重慶|吉林|遼寧|河北|山西|山東|河南|江蘇|浙江|安徽|福建|江西|湖北|湖南|広東|広西|海南|四川|貴州|雲南|西蔵|青海|陝西|甘粛|寧夏|新疆|香港|澳門|台湾|黒竜江|内蒙古