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更新時間:13:50 Dec 22 2008
改革開放30年の中国の変化--ファッション篇
30年前は、誰もが着る緑、藍色、黒、灰色の服が絶対的な「統治地位」を占めていた。
改革初期:「薄暗い」の時代から抜け出し、ファッショングラスやベルボトムが共通の流行となった。
80年代:色鮮やかな時代の到来。色もスタイルも多様な女性ファッションの時代が本格的に到来した。
90年代:急速な変化。韓国の流行を追いかける「哈韓族」。
21世紀:個性が王道に。中国風。自分のファッションは自分が決める。
 中国の改革開放事業は1978年から2008年までの30年間にわたり、輝かしい道のりを歩んできた。この30年は、中国の経済と社会が全面的に発展し、都市と農村の人民の生活が最大級の実益を得た30年であった。中華民族が偉大な復興を迎え、中国の国際的影響力が高まり続けた30年であった。

 この壮大な歴史のうねりの中で、国家・時代・都市と個人の運命はしっかりと重なり合い、互いを確かめ合った。ここでは、この30年間のさまざまなことを大きく振り返り、わたしたちの記憶の大河にさざ波を呼び起こしたい。

 ■ファッションの変化

 美を愛する心は誰にでもある。衣服に関しては、改革開放後の30年で実に大きな変化があったと言えよう。

 1960年代末に生まれた人たちは、小学校時代の衣服は両親が作っていた。綿布配給切符を持って布地を買いに行っていたのだ。女の子でも多くて花柄のシャツが1着で、大人や子どもの衣服は緑、藍、黒の3色が中心だった。映画の中で軍人が着ていた緑色の軍服がかっこよく洗練されているように見えたので、女の子たちがいちばん好きな色は深緑になった。

 1978年以降になると、改革の春風が中国各地に吹き、市場経済の大きなうねりが中国の隅々までを覆い、私営業者が出現した。彼らは国有商店の近くに露店を並べ、大きさが整い、色鮮やかな布地を売った。国有商店よりも便利なうえ配給切符も不用だった。こうして着るものの選択肢が増えた。人々にとって最も印象的だったのは、若者がベルボトムを穿き始めたことだ。ベルボトムは自らをアピールし、流行を追う青年のシンボルとなった。

 1980年代になると、国有商店の定価商品は人気が落ち、人々は次第に値切ることに適応していった。計画経済は影を潜めたように見え、国有デパートは改革を推し進め、私営の衣料品の露店を抱き込み、これらが国有商店の売り場の大部分を占めるようになった。当時デパートに行くと、私営なのか国営なのかよくわからない感覚にとらわれたものだ。衣料品市場はもう綿布の販売が中心ではなくなった。それを最もよく示すのが、ジーンズファッションの流行だ。ジーンズファッションは青年の特権となり、数百万人もの普通の人々が米国西部のカウボーイを真似て、さまざまな色のジーンズファッションに身を包むようになった。粒ぞろいのアパレル商品は、その品質の良さと値段の安さ、スタイルの斬新さで次第に売れ筋となっていった。

 1990年代になると、また驚くべき変化が起きた。ブランドファッションが市場に進出し、各種各様のファッション広告が人々の目を引きつけ、人々はファッションにスタイルの斬新さだけでなく、品質をも求めるようになったのだ。生活水準の向上に伴い、人々は次々にブランド品を選ぶようになった。

 21世紀になると、さまざまなブランドが揃い、また次々と現われ、海外の人気ブランドの売れ行きも伸びてきた。特にスポーツ用品メーカーは、ウェア、シューズ、帽子まで自社ブランドを打ち出し、青年だけでなく子どもまでもがファッションに話が及ぶと、アディダス、美特斯邦威(Meters/bonwe)、安踏(ANTA)、喬丹(JORDAN)、鴻星爾克(ERIKE)などの名を口にし、スポーツ用品店で服を買うことが多くなった。シンプルで個性的なスポーツファッションは、青少年の活力と健康をアピールするものだ。

 この30年間の中国人の衣服への追求は、暖かな装い、ちゃんとした装い、きれいな装い、格好良い装い、主張ある装い、洗練された装いという過程を経てきたと言えよう。(編集NA)

 「人民網日本語版」 2008年09月05日
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