ユニクロは中国大陸に進出してから、長期に渡り局面を打破できなかった。これは日本のやり方をそのまま持ち込み、すべての人に対して市場最安値を提供したからだ。しかし価格を下げると、販売担当者はユニクロが最安値ではなくなり、多くの企業がさらなる低価格により競争を仕掛けてくることに気づいた。このような競争は、共倒れという結果を招く。
潘氏は苦しい状況の中、中国大陸部の消費者が、価格競争を必要としていないことに気づいた。割安な価格は喜ばしいことだが、より重要なのは商品がどのような価値をもたらすかだ。ユニクロのような国際ブランドにとって、顧客に国内では味わえない体験をもたらすことが最も重要だ。そのため潘氏は海外の、小売の面でかつてなかったもの(優良なサービスなど)を中国大陸部に導入した。これは中国大陸部の消費者に一定の衝撃をもたらし、彼らの興味を引きつけ、注目を集めた。
ユニクロの日本事業は特定の層にターゲットを絞っていないが、中国大陸部では中産階級以上をターゲットとし、日本より10−15%割高となっている。この戦略は現在も続けられている。
ユニクロの中国における従業員数は、当初の30数人から1万人以上に拡大した。8年前のゼロから現在に至る過程について、潘氏は「充実していた」と語った。潘氏が、ユニクロの創始者である柳井正氏から最も強い影響を受けた言葉は、「経営者の目を持ち、個人もしくは目先の利益のためではなく、長期的な目標のために取り組まなければならない」だという。(編集YF)
「人民網日本語版」2014年2月18日