環境保護都市に生まれ変わった水俣市
国際連合環境計画(UNEP)が水銀の排出のコントロール・減少を狙いとして制定した国際条約「水銀に関する水俣条約」が、今年10月に日本の熊本県水俣市で採択・調印される見込みだ。水俣市は57年前、公害病の水俣病で世界に名を知られることになった小さな都市だが、今は「環境保護都市」という新たなイメージで、環境保護の教訓と経験を世界に発信している。水俣を訪れると、この都市が経験した災厄と再生を肌身に感じることができる。「人民日報」が伝えた。
水俣市は日本の九州・熊本県の水俣湾に面し、住民は代々漁業や塩業を生業としてきた。1908年に日本窒素肥料株式会社(現在のチッソ)が化学肥料の工場を建設すると、人口1万2千人の小さな町は急速に人口を増やし5万人都市となった。
1950年代になると、水俣では奇妙な現象が相次いでみられるようになった。まず魚や貝類が大量に死に、次にネコやイヌなどの家畜がけいれんを起こしたり、走り回って死んだりし、最後はヒトに四肢のしびれや意識障害などの症状が現れた。生まれた時からこうした症状があり、生涯にわたって人の世話が必要な赤ちゃんもいた。68年になると、調査により、こうした症状の原因は長期にわたって汚染された水産物を食べた結果、体内のメチル水銀が基準値を超え、神経系が破壊されたためであることが確かめられた。汚染源は水俣に繁栄をもたらしたチッソで、長年にわたり高濃度の水銀を含む工業廃水を海に直接流していたことが原因だった。
世界でも典型的なこの公害病は「水俣病」と名付けられた。政府が認定した患者は2273人だけだが、日本の高度成長期に発生した環境問題の代名詞となった。