深セン経済特区設立30周年

 編集者記

 深セン経済特区は今年成立30周年を迎える。人間にたとえると「三十にして立つ」(『論語』)という而立の年にあたり、引き続き夢にあふれる年頃だ。而立の年にみる夢は、より若い時や子供の時にみる現実味のない夢とは違う。いろいろな蓄積や土台があるため、30歳という時は精力にあふれ、みる夢もより理性的なものになる。だが30歳は重要な時であり、無茶はできない。よって夢をみつつ、現実に一層ふさわしい行動を取り、科学的発展観に基づく新しい道を歩む必要がある。

 この30年を振り返れば、深センはどのような面で成果を挙げたのだろうか。現代化建設の成果であれ、改革開放への貢献であれ、深セン経済特区が特区を建設するという中央政府当時の意図を達成し、改革開放事業や中国の特色を備えた社会主義建設の事業への探求や貢献を行ったことは間違いない。

 深センは新しい30年間の出発点に立ち、今後の発展を積極的に模索し、「科学的発展観の手本となるよう努力し、現代型の国際化した先進的都市を早急に建設する」という目標を確立した。これは今後30年間に努力すべき方向性だ。今後も引き続き特区の機能を発揮させ、科学的発展観の通知票で「優」を目指し、科学的発展のより大きな成果を勝ち取りたい。現代型の国際的な先進都市の建設を通じて、現代型産業を引っ張り込み、現代の生活を誘導し、深センがシンガポールや香港、はては欧米の現代型都市のに比肩する先進的都市となるよう努力する必要がある。今後は、現代化を土台として、国際化を一層進展させ、深センを国際交流のプラットフォームや世界の先進的要素が集結する都市に発展させていく...>>全文へ

深セン経済特区を理解するキーワード

経済特区

「深セン速度」

国家級起業型都市

特区拡大

 1980年8月26日、第5期全国人民代表大会(全人代)常務委員会第15回会議において、広東省深セン、珠海、スワトウ(汕頭)、福建省厦門の4都市を経済特別区に指定するという国務院の決定が批准された。国務院が同年発表した「広東省経済特別区条例」では、特区が外資・外資企業による独資工場・合弁工場設立や企業創設やその他の起業を奨励し、税収、金融、土地、賃金など各分野で適宜優遇措置を講じることが定められている。  「深セン速度」とは、中国で建設速度が非常に速いことを指す言葉だ。それは、1982年11月から1985年12月の37カ月間で中国建築第三工程局有限公司が深セン国際貿易センターを建設の際、3日ごとにひとつの階を完成していったことに由来する。これは当時の中国では前例のないことだった。「深セン速度」は、改革開放後の中国の建設発展の象徴となった。それは時代の急成長のシンボルであり、この30年間の中国の建設発展のスピードを代表している。
 就業は民生の基礎であり、起業によって就業を牽引することは、効果的に就業を促進する重要な措置だ。2008年、深センは国家級起業型都市の第1期創設都市に指定された。2010年から、起業による就業・民生牽引事業の全面的な実施が始まった。今年末までに全市で20以上のインキュベーターパークや起業モデル拠点を設置。

 2010531日、中央政府は深セン特区版図拡大申請を承認した。これにより、深セン経済特区の範囲は市の全域に拡大され、総面積は従来の395平方キロメートルから1948平方キロメートルに広がり、隣接する香港の2倍となった(香港の総面積は1103平方キロメートル)。71日から施行。同特区の拡大により、深センはさらに発展し、香港との協力も益々深まる見通し。

80年代

1980年:深セン経済特区誕生--1980826日、第5期全国人民代表大会(全人代)常務委員会第15回会議において、広東省深セン、珠海、スワトウ(汕頭)、福建省厦門の4都市を経済特区に指定するという国務院の決定が批准された。
1981年:3月、副省級市に昇格
1982年:「時は金、効率は命」--「時は金、効率は命」と書かれた大看板が蛇口工業区の大通り交差点に掲げられ、全国に衝撃を与えた。「最も良く知られ、国民に最も大きな影響を与えたスローガン」と称えられた。蛇口工業区を創設した袁庚氏が最初に唱えたこのスローガンは、中国の大地を目覚めさせる春雷のように、人々を啓蒙し、市場経済開放を大きく前進させた。
1983年:深セン初の株式制企業誕生--1983年、新中国成立後初めて、株式「深宝安」が発行され、深セン初の株式制企業が誕生した。
1984年:トウ小平氏、第1回南巡で深センを視察
1985年:華僑城建設計画スタート--1985年、華僑城の建設計画がスタート、を始めて、中国大陸部の「テーマパーク」建設の序幕が開いた。
1986年:国有企業の株式制改革構想始まる
1987年:市委員会、特区精神「開拓、革新、献身」制定
1988年:国家計画により単独経済管理権限獲得--11月、国務院は深セン市が国家計画において単独で省一級レベルの経済管理権限を保有することを認めた。
1989年:労働者100万人が深センに--深センは国内で最も早く出稼ぎ労働者が集中した都市となった。

90年代

1990年:深セン証券取引所開設--1990年、中国大陸部の2大証券取引所の一つとなる深セン証券取引所が開設した。
1991年:深セン、ISO9000認証獲得を目指す--1991年、深セン南星ガラス製品有限公司が、深セン企業として初めてISO9000品質システム認証を獲得した。これは、中国大陸部企業初のISO9000認証獲得ともなった。
1992年:トウ小平氏、2回目の深セン視察
1993年:深セン金融センター設立
1994年:江沢民国家主席、深センを視察
1995年:「第2次創業」ブーム--1995年、深センに「第2次創業」ブームが起こった。特区優遇政策から次第に一般特恵関税制度(GSP)へ移行する新情勢が生まれた。
1996年:「深セン地王大厦」竣工--1996年、深セン地王大厦が竣工した。当時、アジア首位、世界第4位の高さを誇った。
1997年:「社会主義市場経済十体系」完成--1997年、深センは「社会主義市場経済十大体系」を基本的に完成、計画経済から社会主義市場経済への移行をほぼ実現させた。
1998年:審査許可制度改革スタート--1998年、「深セン市政府審査許可制度改革実施方案」が発表され、大陸部初の審査許可制度改革の先行ケースとなった。
1999年:第1回ハイテクフェア開催--1999年、第1回中国国際高新技術成果交易会(ハイテクフェア)が深センで開催され、「中国科学技術博覧会の代表」となった。

2000年以来

2000年:初のトウ小平像 除幕
2001年:土地取引に関する地方法を発表--2001年、「深セン市土地交易市場管理規定」が公布・施行された。これは、中国大陸部初の、土地取引に関する地方性法規。
2002年:大型国有企業の国際入札改革--2002年、深セン市は国有大型企業の国際入札に関する改革を実施、国有企業の財産権の主体多元化に向け、ブレイクスルーを果たした。
2003年:胡錦涛国家主席、深センを視察
2004年:地下鉄開通
2005年:第1陣全国文明都市に選定--2005年、深センは第1陣全国文明都市に選定され、深センの都市文明建設が新しい段階に突入したことが示された。
2006年:「海外進出」戦略計画実施--2006年、「深セン市『走出去(海外戦略)戦略計画実施綱要』が発表された。深センは、都市重点発展戦略に、初めて「海外進出」を組み入れた。
2007年:第26回ユニバーシアード開催決定
2008年:「一区四市」新体制確定--2008年、国家発展改革委員会(発改委)は「珠江デルタ地域改革発展計画綱要」を発表、深センの「一区四市(総合改革モデル区、全国経済中心都市、国家核心型都市、グローバル化都市、中国の特色ある社会主義モデル都市)」を目指す新体制を確定した。
2009年:深セン証券取引所創業ボード開設
2010年:「大特区」時代へ邁進--2010年、国務院は深セン経済特別区の対象範囲を深セン全市に拡大することを認めた。これにより、深セン経済特区の面積は、327.5平方キロメートルから1952.8平方キロメートルに広がった。
1982年 建設中の深南中路 1982年 「時は金、効率は命」 1984年 蛇口三洋電子株式会社 1987年 中国初の土地競売

1990年 福区工業区の求職者

1992年 上歩株式会社設立 1995年 長征パネルライン 1996年 中国初の保税区-福田保税区

 

2005年 若者の創業舞台

2007年 深セン港、第2000万番目のコンテナー 2009年 深セン証券取引所、中国版ナスダック「創業板」取引開始 2010年 深セン経済特区拡大

 深セン市は「鵬城」とも呼ばれる、中国南部の珠江デルタ東岸に位置し、中華人民共和国広東省に属する、中国初めての経済特区で、国務院の許可を経て1980年8月26日に設立された。市全体の面積は1953平方キロメートルで、そのうち経済特区の面積は395.81平方キロ。  
 30年にわたる建設と発展を経て、深セン市は昔の静かな村から一定の国際的影響力を持つ新興の現代的都市へと発展し、驚くべき「深センスピード」を生み出した。中国社会科学アカデミーが発表した「2009年中国都市競争力青書:中国都市競争力報告」の全国の地級以上都市294カ所の総合競争力の2008年度ランキングによると、深センは2位となっている。

 1997年、深セン市が国家「環境保護モデル都市賞」受賞、2000年に「国際花園都市」コンテストで金賞を獲得、中国初めての国際花園都市となった。2001年に深センが「中国居住環境賞」を受賞し、2001年で行った中国現代化総合指数関連27項目評価で、深センは平均GDP、一人当たり購買力、エンゲル係数、平均居住面積、平均生活電気消耗、一人当たり、塗装道路面積都市平均緑化面積、緑化カバー率、住民コンピューター普及率、電話普及率など14項目のコンテストで一等賞を獲得し、総合指数の最も高い都市となっている。更に、2005年、深セン市が初めての「全国文明都市」となっている。

深セン経済特区の名刺

>>世界の窓

園内の広さが約48万平方メートルある。世界の五大州と観光風景から、世界広場、アジアエリア、大洋洲エリア、ヨーロッパーエリア、アフリカエリア、アメリカエリア、世界彫刻園及び国際街など八つのエリアに分けられている。歴史遺跡、名所旧跡、自然風光、世界奇観、建築、彫塑などのスポットがあり、造園芸術、民俗風習、民俗踊り、大型ショー、ハイテク参加性遊びなどを含めた。

>>大亜湾原子力発電所

 広東省・深セン市の大亜湾に位置している。広東核電投資有限公司と香港核電投資有限公司が共同投資で建設し、投資総額は40億ドル。主要設備はイギリスとフランスから導入している。984MWe原子炉発電機は2基、それぞれ1994年2月と5月に商業運転を開始した。

>>観ラン湖ゴルフクラブ

 深センは複数の国際標準ゴルフ場を建設し、数多くの国際、国内ゴルフ試合が此処で開かれている。中に、観ラン湖ゴルフクラブが10の18ホールゴルフ場を持って、世界最大なゴルフクラブとなっている、1995年に「第41回ゴルフワールドカップ」は此処で開かれ、深センも中国初めてのゴルフ試合都市となっている。

>>深セン証券取引所

 2009年10月23日、中国深セン証券取引所は10年の準備期間を経て、創業板を開設する。同日、創業板開設式典が挙行された。創業板は中国版ナスダックとも呼ばれており、創業板開設後、上場申請済み企業28社の上場審査を開始、26日に企業情報を公開し、30日には取引が開始される。

>>地王大廈

 深センのシンボル高さ328メートルの地王大厦、現在世界で7番目、中国では広州にCITICプラザなどが完成するまで最も高い超高層ビルであった。建設場所の土地が高騰したことから別名信興広場。2004年頃までは羅湖地区を最上階から灯台のように照らし出していた。

>>深セン宝安空港ターミナルビル

 深セン宝安国際空港は1991年10月12日開港。1996年には中国第4の発着便数の空港となった。2003年には世界の空港トップ100にランクインした。2004年1月、Bターミナルビルの拡張工事が竣工。2011年には第2滑走路と新ターミナルエリアの使用が始まる計画だ。

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