チベット民主改革50周年

ホーム | 社会・生活 | 地方情報・西蔵  

ダライ「3・10」講話、「農奴解放記念日」を意図的に回避

 中国藏学研究センターの朱暁明・研究員は18日、中国藏学研究センターが北京で開催した「西藏民主改革50周年」記念学術フォーラムで、ダライ「3・10」講話では「西藏100万人農奴解放記念日」が意図的に回避され、「こういった事実が、『農奴解放記念日』の創設は、ダライ集団の急所をねらい打ちするものであることを説明している」と語った... 全文へ

 1959年3月28日、当時の周恩来総理は中華人民共和国国務院令に調印し、チベット地方政府の解散を宣言し、チベット地方政府の職権をチベット自治区準備委員会が行使することを発表した。チベットの100万人の農奴は中国共産党の指導の下、解放されて立ち上がり、正真正銘の主人となった。中国人権史上の偉大な出来事であるとともに、世界人権史上に残る重要な出来事ともなった。

経済発展

都市建設

名所旧跡

市民生活

1949年10月1日:中華人民共和国成立。
1950年10月16日:人民解放軍、西蔵(チベット)に進駐。
1950年11月17日:第14世ダライ・ラマ(当時15歳)による親政が開始。
1951年5月23日:中央人民政府とチベット地方政府、北京で「チベット平和解放に関する協定(17カ条協定)」を締結。
1951年10月24日:第14世ダライ・ラマ、中央人民政府の毛沢東主席に打電、「17カ条協定」の合意と実行を表明。
1954年秋:第14世ダライ・ラマとパンチェン・ラマ、北京で開催された第1期全国人民代表大会にチベット人民代表として出席。ダライ・ラマ、人民代表大会常務委員会副委員長に選出...
[全文へ]

  中国南西部の国境地帯、青海・チベット高原の南西部にある。北は新彊ウイグル自治区、青海省、東は四川省、南東は雲南省、南と西はミャンマー、インド、ブータン、シッキム、ネパールなどの国と接している。国境線は全長およそ4000キロ。面積はおよそ122万平方キロ、国土の約12.8%を占める。[全文へ]

今日のチベット

社会・経済の発展

改革開放30年、西蔵のGDPは16.8倍に
西蔵の新年 25日から長期連休始まる
チベット大学合格者の7割以上が少数民族
改革開放後、チベット医薬事業が大きく発展
チベット飲用水安全対策に10億元拠出

民主建設

西蔵全人代代表 7割が少数民族
・ チベットの民主改革
・ 旧チベットの封建農奴制
・ チベット100万農奴解放記念日、3月28日に設定
・ チベット族など少数民族が西蔵人大の中堅に

政府の動き

「暴動事件はチベットの発展になんら影響ない」
中央政府はダライ・ラマに対して十分に粘り強い
「西蔵文化の保護・発展」白書を発表
杜青林部長、ダライ・ラマの私的代表を接見
フランスはチベット問題に適切な対応を

評論

チベットの民主改革、50年で大きな成果
旧チベットは「シャングリラ」だったか
真相:ナチスやオウム真理教とダライとの関係
信教の自由に見るダライの憲法違反
揺るぎない中国の民族区域自治制度

フォトニュース

ラギャリ王宮遺跡

文化を学ぶラマ僧たち

「小故宮」瞿曇寺

郎木寺

チベット暦新年

チベット暦新年を祝う

自然が観光客に人気

ポタラ宮の美しい夜景

冬の西蔵

屋外テレビ

チベット平和解放への道を振り返る

 1949年、中華人民共和国が誕生した。それまで国民党政府が統治していた北平(北京)と湖南、チベットに隣接する雲南・新疆・西康など各省は次々と平和的に解放された。中央人民政府は、チベットの歴史や現状にもとづき、平和的解決策を講じる決定を下した。1950年1月、中央政府はチベット地方当局に対し、「全権代表を北京に派遣し、チベット平和解放に関する交渉を行う」通知を出した。しかし、当時のチベット地方政府ダザ摂政は、外国勢力を後ろ盾として、中央 政府による和平交渉の呼びかけに決して応じようとしなかった... [全文へ]

国外勢力がいかにチベット独立を画策してきたか

 1840年に英国が戦火を開いたアヘン戦争後、中国は独立した主権国家から徐々に半植民地国家に成り下がった。帝国主義勢力は清の中央政府の弱体化に乗じ、西蔵(チベット)を含む中国領土を分割する陰謀を開始。チベットを英国の勢力範囲に組み込むため、1888年と1903年の2回、英国はチベット侵略戦争を起こした。チベット軍と民衆はこれに奮起して抵抗したが、あえなく失敗。2回目の侵略戦争で英軍はラサを占領し、ダライ・ラマ13世は仕方なくラサを後にした。 侵略者はチベット地方政府の官僚... [全文へ]

1959年、チベット武装勢力反乱の真相

 平和解放前、西蔵(チベット)では上層僧侶と貴族の独占による封建農奴制が敷かれ、膨大な数の農奴は農奴制の足枷が外れることを切実に求めていた。中央人民政府はチベットの歴史と現実的な特殊な状況を考慮し、チベットの社会制度を改革する上で極めて慎重な態度を取り、改革の時期はチベットが独自に決定する方針をとった。しかし、チベットを統治していた上層グループの一部は自らの利益を守ろうと根本から改革に反対し、永久に農奴制を維持しようとしていた。そして、「17カ条協定」を故意に破棄し... [全文へ]

50年前のチベットの民主改革

 1959年に実施され始めた民主改革は、チベット現代史上の大きな出来事である。それはチベットの発展と進歩にかかわり、チベットの人口の圧倒的多数を占める百万の農奴が暗黒な封建農奴制の束縛から解放され、チベット社会の主人公となることができるかどうかにかかわっている。歴史が立証しているように、チベット民主改革は広範なチベット人民の利益に合致する、人類の人権獲得史上の壮挙である。10世紀に吐蕃王朝の奴隷制政権が崩壊した後、チベット社会は封建制度に移行し始めた... [全文へ]

 昔のチベット

1945年のラサ河

1938年のラサの瑠璃橋

昔の生活

昔の子供

農奴隷の家 右手を切られた牧蓄民
 今のチベット

今のラサ河

今日のラサの瑠璃橋

今の生活

医者が農民の家で往診

青蔵公路

チャンタンの競馬祭

 
このウェブサイトの著作権は人民日報社にあります。
掲載された記事、写真の無断転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8256  北京 (010) 5820-3719 MAIL:info@peopledaily.co.jp