<企画>ガンの母親と三つ子の女の子 (2)
階段を上る時、李さんは今では以前のように子どもを抱っこして上ることはできなくなっている。 化学療法、手術と、度重なる試練に直面しても「乗り越えて見せる」と語る李さんは、残りの時間がどれだけあるにしろ、三つ子の娘に強い母親の姿を見せたいと願っている。
2013年5月16日、李舒さんは夫と共に治療のために重慶に向った。子どもが急性盲腸炎になったが、李さんは帰宅して娘に付き添うこともできなかった。病院で娘が恋しくなると、携帯電話に保存された写真や映像を見たという。「早く治療を終わらせて、学校へ娘を迎えに行きたい」と李さんは語る。
重慶へ治療に向うと、三つ子の面倒を見るのは王炯森さんの母親の王蘭さんとお手伝いさんのみとなった。「子どもたちはまだ小さいのに、母親が何日も家を離れて、子どもたちは毎日会いたがっている。子どもが母親に電話するのもためらわれる。」三つ子の母親の病気について、王蘭さんは悲しげに話す。母親がいない間、三つ子たちはベランダから遠くを眺めているという。
手術後、李さんの体にはチューブが装着されている。服の間から見える触れてはならないその物は、子どもたちにとって神秘的なものに違いない。
「ママは病気なの。注射してお薬を飲むの。」次女は三つ子の中で一番活発で、人見知りをしない。長女と三女はおとなしいが、子どもたちは口々に「幼稚園の大勢のお友達と一緒に遊ぶのが楽しい。ママの病気が治ったら一緒に遊ぶの」と話す。
李舒さんの夫の王炯森さんはロウ中近くの水力発電所で働いているが、収入は多くない。李さんの月給も2000元ほどに留まる。「三つ子の食費や日用品だけで毎月、数千元はかかる。父親は高血圧だが、副業もしてお金を稼いでいるが、李舒まで病気になって、ますます苦しい」と王蘭さんは話す。
ガンが発見されて以来、李さんは微博(ミニブログ)で気持ちをつづってきた。3月頭に発表した「治療は諦める。説得は無用」から「愛が奇跡を生むだろう」にいたるまで、彼女は徐々に絶望から希望へと向い、病気と徹底的に闘って奇跡を生み出すことを誓っている。李さんは「今では気持ちは落ち着いている。ガンを克服できるといい切れはしないが、少なくとも落ち着いて向うことはできている。どんな結果になっても、私を支えてくれている人たちに感謝したい」と語る。
李さんはガンと診断されて以来、子どもたちが結婚する日に放映して欲しいと願って、子どもに伝えたい言葉をこっそりと記録している。娘たちの花嫁姿を見ることができないとしても、娘たちには母親からの最大級の祝福を贈りたいと考えている。もし会えなくなったとしても、それは子どもたちと遊ぶ、一生で一番長い「かくれんぼ」に過ぎないのだ。
インターネット利用者からは「三つ子のお母さんのミニブログを見て、李さんが病気に打ち勝つことを願っています。子どもたちはあなたを必要としている」、「李さん、がんばって!3人の可愛い子どものために、苦しいでしょうが、必ず運命に勝てると信じてください」といったメッセージが寄せられている。病気と闘う三つ子の母親のエピソードは、インターネット利用者のみならず、三つ子の通う幼稚園の教師や家族も感動させている。李さんのための募金が募られただけでなく、幼稚園は三つ子の3年間の学費も全額免除した。
「人民網日本語版」2013年5月28日