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発祥の地からも… 浅草の3映画館が老朽化で閉館

営業を終え、映画館にシャッターがおろされた

 【黒川和久】映画館発祥の地、東京・浅草から映画館の灯が消えた。松竹の子会社「中映」が運営していた3館が21日、建物の老朽化に伴って閉館。最終日は常連客らに見守られ、惜しまれつつ静かに幕を閉じた。

 閉館したのは「浅草中映劇場」「浅草名画座」「浅草新劇場」の3館。中映によると、新劇場が入る新劇会館は1927年、中映劇場と名画座が入る中劇会館は33年に建った。二つの建物は東京大空襲では外壁が残り、全焼を免れたが、古いため耐震補強も難しいという。

 「長い間、ありがとうございました」。21日午後8時40分、中劇会館の出入り口で総支配人が頭を下げると、周りの客の拍手に包まれた。年配の男性客は「寂しいね」。劇場名の入った看板の下では、客らが盛んに記念写真を撮った。

 浅草に日本初の常設映画館「電気館」が開業したのは1903年。

 最盛期の59年、浅草では36の興行施設が立ち並び、高倉健や渥美清らが主演する人気映画では行列もできた。しかし、テレビの普及もあって客足が遠のき、60年代ごろから閉館が相次いだ。中映の5館だけ営業してきたが、9月に2館が閉じた。

 最近の上映は「男はつらいよ」といった邦画3本立てなど。常連の年配男性の憩いの場でもあった。千葉県鎌ケ谷市の矢崎忠さん(59)は就職したばかりの頃、よく来た。「落ち込んでも、寅さんを見て笑い、『また仕事に打ち込もう』と活力をもらった」

 中映元顧問の山本栄一さん(79)は幼い頃から通い、56年に入社した。館長などを務め、6月まで半世紀以上、映画館とともに歩んできた。「映画の灯を絶やさぬよう頑張ってきたのですごく寂しい。浅草から映画館はなくなるが、大衆芸能の灯は消えない。若い人が文化や人情を伝承してくれるといい」

 跡地の活用方法は決まっていない。

 asahi.com 2012年10月22日

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1938年1月の浅草六区の映画館街。戦前からにぎわいを見せていた
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