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更新時間:17:24 Mar 24 2009

中国 大型航空機開発の道のり

 1970年8月、毛沢東、周恩来の直接関与のもと、中国独自の大型航空機「運10」の開発が始まった。1980年9月、完全に自主設計の大型機「運10」が製造され、初めて空に飛び立った。これにより中国は、米国、ソ連、英国、フランスに続き、5番目に100トン級の大型旅客機を開発した国となった。

 しかし1983年10月、開発継続に必要な3000万元余りの資金が調達できず、1985年2月に「運10」は飛行停止となり、プロジェクトも打ち切りとなった。

 ■1986年ー2000年:開発導入

 1985年から上海飛行機工場は米マクダネル・ダグラス社と共同でMD-82型を25機組み立てるプロジェクトを実施。MD-82型機は中国初の航空機協力プロジェクトとなり、1994年前後に航空会社に35機を納品。うち5機は米トランス・ワールド航空が買い取った。MD-82型の協力は外国の航空機を組み立てる単純なプロジェクトだったため、元航空部は1986年末、国際協力を通じて幹線航空機を「開発」するプロジェクトを提案、最終的に1995年から2000年にかけマクダネル・ダグラス社とMD-90型の製造を提携することになった。MD-90型プロジェクトで国産化率は70%に達し、さらに米国連邦航空局(FAA)の生産合格証も取得した。しかし、こういった自主知的財産権のない「国産化」は実際には大きな意味を持たない。1996年末にボーイングとマクダネル・ダグラス社が合併後、1997年に会社方針でMD-90型の生産ラインは停止となった。MD-90型の生産ラインはわずか2機だけ生産して終わりを告げ、MD-90型プロジェクトは無駄に帰した。プロジェクトの完結を待たず、ボーイングは中国側にすべての技術資料と図面を破棄するよう通知した。

 ■1994年ー1998年:開発協力

 1992年に国が100億元を割り当てる約束をすると、航空工業部門は100座席のAE100プロジェクトを提案。国際的な商用航空会社と提携し、海外の技術サポートを得ることで中国の航空機開発に取り組もうと計画していた。しかし中国側が教えを請う態度を示すと、パートナーとなった航空会社は要求額を跳ね上げ、さらには毎回のビジネス交渉において「技術譲渡費」の支払いを要求するようになり、1998年に同プロジェクトはついに先送りとなった。100億元のうち1億1千万元を費やした後、国は資金回収に踏み切った。

 ■2006年1月:大型航空機の開発再開

 2006年1月6日、国防科学技術工業委員会の金壮竜・報道官は国防科技工業工作会議の記者会見で、2006年および第11次5カ年計画(2006-2010年)期間中の目標と主な任務について報告し、この中に適切な時期に大型航空機開発プロジェクトをスタートするという内容が盛り込まれた。 (編集KA)

 「人民網日本語版」2009年3月21日

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