辛亥革命にかかわった歴史上の人物 (6)
蔡元培(さい げんばい)(1868-1940年)、浙江省紹興府生まれで、現代中国知識界の卓越した先駆者であり、著名な 民主革命家、教育者、科学者でもある。1904年、蔡元培は章炳麟、陶成章らと共に上海で光復会を設立、会長に選出された。1905年、蔡は中国同盟会に加盟し、辛亥革命後は南京臨時政府教育総長に就任。1917年には北京大学校長に選ばれ、科学と民主を基本とする新思想の確立を提唱し、思想の自由と「兼容並抱」(全てのものをことごとく包容するという意味)の原則を貫き、学術論争が学術の繁栄をもたらすと主張、積極的に当時計画中だった新文化運動を支持した。1919年に起きた「五四運動」の際、蔡元培は学生らの愛国運動を支持した。また1931年に満州事変が起きてからは、各方面に抗日運動を呼びかけるなどの政治活動も活発に行なっている。1932年、蔡元培は、宋慶齢、魯迅、楊杏佛らと中国民権保障同盟を設立。その後、1940年3月5日、香港にて病死した。
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