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【第26回】
二日目の午前は運動会です。2チームに分かれて、騎馬戦や玉入れ、大縄など3、4種目を競います。でも、ゲームの説明をするために「これから運動会やるよー」って言っても、子どもたちのテンションがあがってしまって、「お姉ちゃーん」とかいって遊んでしまって、ルールを聞かない。だから運動会ではいつも進行が遅れてしまうんですよ。
運動会が終わったら、子どもたちとの交流は終わりとなります。20分くらい写真を撮ったりして別れます。子どもと離れるときに泣いてしまう参加者もいるし、「お姉さん行かないで」と泣いちゃう子どももいる。参加者の中からは、そういう感情を持てたことが「貴重な体験でした」っていう声もありますね。それから先生方と包んだギョーザを食べて、帰路につきます。
あったかい人たちが多くて、みなさん、「またおいでね」と言ってくれます。先生方とギョーザを囲んでいても、「来てくれてありがとう」としみじみ言われて、「食べて食べて」とすすめられる。心の中から出てくる感情をそのまま表してくれるんですね。手を握って「またぜひきてね」なんて感謝されると、「感謝するのはこっちなのに」という気分になります。子どもたちもすごく喜んでくれますね。活動後のアンケートでも、「日本人のお姉ちゃんやお兄ちゃんと交流できてすごくよかった」とか「機会があったら日本に行きたいと思った」という答えが多い。
ツアーに参加する前は、「農村の貧しい子どもたちはかわいそうだ」という先入観があったんですね。お金がなければ買いたいものも買えないし、おいしいものも食べられない。それを不幸だと思っていた。それが実際に行って、子どもたちや先生方にふれて、「人の幸せは自分の物差しでは絶対に量れない」と心から思いました。お金があるから幸せとは言えないし、あたたかさや優しさはその人の奥から出てくるものです。「生活で何か困難なことありますか」というアンケートをするんですが、「今の生活でじゅうぶん満足している」という答えがあちらの人には多い。私たちが思っているよりも、心の面ではむしろ充実しているんです。「私よりも恵まれていない」と思っていた子どもたちが、都会の人たちよりもきらきらした笑顔で生きている。価値観が変わったというか、農村に対する見方が変わりました。
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都会の人たちは、モノとかお金があふれすぎていて、感覚がマヒしてしまっているのではないでしょうか。教育が受けられるのも、おいしいご飯が食べられるのも、当たり前だと思っている。日本でも引きこもりなどの問題がありますよね。そういうニュースを見ると、都会の子どもや若者は大事なことが見えていないんじゃないかって思えてくる。農村の子たちは、いま目の前にあるものをちゃんと大切にして、一生懸命に生きているんです。ただ、だからこそ、農村の子どもたちが教育を受けられないのは悲しい。
農村に学校がなければ、教育を受けることはできませんよね。だから希望工程があり、希望小学校がある。希望小学校があれば、学費は政府が援助しているので、学校には行けます。それでも環境はあんまりよくないのが実情です。中国政府や民間のボランティア団体、日本のNGOの寄付によって希望小学校は建つんですが、その後の管理に問題があるんです。何年か経つと、先生や生徒も少なくなっている。椅子や机などもぼろぼろになってしまって、勉強する環境になっていない。コンピューターがあっても、1台を6人で使ったりしている。こうしたモノの欠如のほかに、具体的な課題として知られていないことも問題ですね。私たちの活動のねらいの一つは、農村ツアーを通じてこれを広めることにあります。