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【第28回】
浜本さんは1969年に初めて訪中し1993年に、四川省成都市、遼寧省大連市、福建省福州市で独資の食品加工・販売を行う会社を設立した。食品関連会社ということで、食の安全に関わる一連の問題では大きな影響を受けたという。浜本さんはまた、四川大地震も現地で経験した1人だ。余震の危険の中、四川に残って復興に自ら携わったという浜本さんにインタビューした。
少年の頃に「三国志」や「水滸伝」を読み、日本では考えられない圧倒的なスケールに驚き、また「魏志倭人伝」を読んで日本のルーツを感じ、中国をより深く知りたくなったのがきっかけです。
私が大学に入学し中国語を専攻した1960年当時、中国は日本にとって「近くて遠い国」で、日本では中国語を教える大学も、学ぶ人も大変限られていました。
卒業時の求人票にも「中国語課卒は除く」と赤文字で書かれていたような状況で、教員になるつもりでしたが、華僑が社長の貿易会社を創業するということで発起人の一人として入社する事になりました。
その仕事で「広州交易会」参加するために1969年訪中しました。ご存じの通り、日中国交回復は1972年。国交回復の三年前に中国に来たわけです。
| 二十歳の頃、中国語の勉強に励む |
文化大革命の真っ只中で、国全体も中国人も熱く燃えているという印象でした。
生活は貧しいけども、将来の夢や希望にかけている、そんな熱気が伝わってきました。
約5年間、友好商社で勤めていましたが、会社の都合で私の関係部門が解散する事になりました。そこで中国や日本の取引先から「開発途中の仕事を完成、継続して欲しい。引き続き仕事をしたい。会社を興さないか?」と推されまして、立ち上げる事にしました。
農産物を中心に食品原材料を中国で開発加工し、日本のメーカーを中心に販売しています。成都、大連、福州に100%出資企業が3社有り、契約栽培などで厳しい管理をした原料をISO、HACCP取得の自社工場で加工、直輸入で販売します。こうする事で履歴が分かり、目の行き届いた安全で安心な商品をお届けする事が出来ます。
当時はまだまだ中国に対する認識が少ない中で、中国の必要性や将来性について顧客に話すのですが、当時はなかなか理解されませんでした。加えて、中国側の貿易やビジネスに対する認識も低く、その狭間で仕事をしていく事に大変苦労しました。
もちろん、創業当初は資金も乏しく、何もするにも困難な時期でした。でも、大きな夢に向かって進んでいた時で、青春そのものでした。今から思うと楽しい想い出です。

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