経済|社会・生活|政治|文化・科学技術|中日交流|評論|写真|動画|特集 

現在位置:人民網日本語版>>日本からニーハオ!
(39)他人の身になって思いやる心--東京華僑総会の廖雅彦会長
廖雅彦氏の父親は、若いころ台湾から来日し、華僑の仕事に長年従事していた。1970年、父親の退職後は、廖氏が後を継いで東京華僑総会に入り、華僑事務に従事している。廖雅彦氏が華僑関係の仕事をするようになって、瞬く間に40年のときが過ぎた。
(38)絶えず変化し続ける人生 横浜華僑婦女会の劉燕雪会長
劉燕雪略歴:原籍は広東省台山。1939年に横浜で生まれ、横浜で育つ。横浜市立大学を卒業後、横浜華僑聯誼会に入る。1967年に「小紅託児所」を開設、1987年には横浜婦女合唱団を創立した。現在は横浜華僑婦女会の会長、横浜華僑総会の名誉副会長を務める。
(37)海外の華人 衝突と融合の中での伝承-横浜華僑総会の任政光会長
任政光略歴:1940年、長崎の華僑の一家に生まれる。1959年に上京し、日本大学経済学部で学ぶ。大学卒業後、東京の中華書店に就職、五年後に横浜で創業、中国貿易会社を設立する。現在は横浜華僑総会会長、日本華僑華人連合総会の副会長、全日本華僑華人中国和平統一促進会の副会長を務める。
(36)春の泥と化し、花を護り育てる 日本華僑界のリーダー・陳焜旺氏
陳焜旺略歴:1923年、台湾で生まれる。1941年に来日、中央大学法学部卒業。1949年、東京華僑連合会理事に就任、1950年、同副会長に就任、1982年、東京華僑総会会長に就任。華僑関連の仕事に60年以上にわたって従事する。現在は東京華僑総会、日本華人華僑連合総会の名誉会長。
文字??
どんなジャンルで活躍する方のインタビューを見てみたいですか?
ビジネス関係全般
語学・教育関係
環境保護関係
芸能・文化関係
その他
どのジャンルも見てみたい

                                                      --趙苒さん

【第40回】

    中国で西安交通大学電子工学部を卒業後日本に留学し、大阪市立大学工学研究科で修士号を取得した趙苒(ちょう・ぜん)さん。その後、夫の仕事の関係でフランスに長期滞在、2004年、日本に戻って防湿庫最大手の東洋リビング株式会社の海外部に就職した。

    安定した仕事に幸せな家庭と、多くの人が理想とする生活を手に入れた趙さん。しかし趙さんは2008年に同社を退社、中国に拠点を移し上海トーテック科学技術有限公司を立ち上げる。それは目の前の安定した生活から、リスクと隣り合わせの世界に飛び込むことを意味していた。何が趙さんを起業に踏み切らせたのか。それはずっと描いていた夢にかける思いだった。

    ――当初、なぜ日本に留学しようと思ったのですか?

    日本に留学しようと思ったのは両親の影響が大きいですね。母親がずっと日中貿易関係の仕事をしていたので、小さい頃から日本のことは、よく知っていました。それから、わたしの専門が電子工学だったっていうこともあります。当時、日本の電子技術は各国をはるかにリードしていましたからね。

    ――留学生活で印象深かったことは何ですか?

    忙しくもあり、充実もしていましたね。留学中は奨学金をもらっていたんですが、日本はやっぱり物価が高いので、アルバイトが必要でした。それに加えて理工系の修士課程は授業がびっしり詰まっていて、実験に追われる日々でした。それから外国人には、言葉のハードルもありました。特に専門用語は、日本人の院生より何倍も苦労しましたね。

    学校以外でも、日本の文化や日本人の友だちと多く接したいと思っていたので、研究やバイトの合間に、友だちといろんなところに出かけました。留学生活をいま振り返ってみると、本当にたくさんのことを学べたと思います。



ページ  123
网友    中日友好に向けた提案は素晴らしい
コメントを書く