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2月20日 木曜日
きょうもまた、倒れた医療関係者が運び込まれてきた。仕事はますます忙しくなり、残業時間も長くなった。点滴液の調合、静脈注射、吸痰、吸入治療、病状観察と記録、病床看護など看護婦の手足は休まる間がなく、退勤時には足がむくんでしかたなかった。病院側はわれわれに1日3食をしっかりと準備してくれるのだが、疲労は頂点に達し、空腹でも食事がなかなかのどを通らなかった。退勤後はただひたすら眠りたかった。たとえ10分でも、事務室の中でも構わないから。
李看護婦長はこう言っていた。午後に受けた10本以上の電話のうち、1本が非常に印象に残っているのだという。それは看護婦の胡広平さんの母親からの電話で「うちの娘は何日も家に帰ってないんです。携帯も切ってあるし、いろいろ調べたらここにいるらしいことが分かったんです。元気かどうか、一言尋ねたいだけなんですよ」と心配そうな声だったという。
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2月21日 金曜日
われわれの病院から広州市伝染病院に応援で派遣されていた看護婦の梁健さんが不注意から発病してしまい、臨時診療区に搬送されてきた。同僚が先を争って、彼女を見舞ったところ、彼女は自分の状況について一言も語らなかった。そもそも、彼女が応援を命じられたとき、それを断るに足りる十分な理由があった。彼女はやせ型で体が丈夫なほうではなかった上、甲状腺障害がやっと治ったばかりだった。しかし、梁さんは親友の説得を振りきって、市伝染病院へと回った。
私はこの闘いがほどなく終わり、病魔に苦しんだ患者が親族のもとに帰れると信じてやまない。大部分の患者の病状は好転し、きょう2人の患者が退院したことは闘いに初歩的な勝利を収めたことを証明している・・・24-25日
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