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1950年に朝鮮戦争が勃発し、冷戦による必要性から、米国は日本の右翼勢力を黙認し始めた。右翼の文人はこれをチャンスとして歴史教科書にメスを入れ、侵略を否認し、皇国史観を復活させようとした。教科書問題はこうして生まれた。
1960〜70年代からは、「日本は戦争で犯した過ちを直視し、責任を負うべきだ」と主張する日本人が徐々に出てきた。
著名な歴史学者、家永三郎氏は、正義感に満ちた日本人だ。家永氏は自身が編纂した高校歴史教科書に対して不合理な修正を求めたとして日本政府を提訴し、その後右翼の歴史観と30年以上にわたって闘争した。日本の文部省(当時)は歴史教科書の検定の中で、家永氏が執筆したある日本史の教科書に対して8カ所の修正・削除を求めた。例を挙げると、南京大虐殺に関して、旧日本軍の行為が「混乱の中から発生した」と書き加えるよう求め、旧日本軍が「中国の女性に暴行した」との内容を削除するよう求めた。また、731細菌部隊に関する記述の削除を求めた。家永氏はこれを不服として、1984年に文部省を提訴した。この「教科書検定の違法性」に対する訴訟は200人以上の歴史学者の支持を得た。また出版界、法律界、政界にも急速に影響を及ぼし、その後日本の歴史観をめぐる大論争となった。
1982年春に文部省が検定で修正を経て合格とした教科書の一部には、近代史と現代史の内容に史実をわい曲し、真相を隠し、日本軍国主義の計略が災いを引き起こし、アジア太平洋地域全体で当時侵略戦争を行ったことの罪の責任を逃れようとする記述が多く見られる。例えば、他国への明らかな侵略を、あいまいな「進入」という言葉で表現するなどし、侵略の被害を受けたアジア各国の国民の感情を深刻に傷つけた。これは当然ながら関連諸国の国民の強い義憤を掻き立て、日本でも市民や有識者が声をそろえて非難した。
中国政府は当時、このように指摘している。「日本軍国主義による中国侵略の歴史を認めるかどうかは、両国関係にとって原則となる問題だ。『前事不忘、後事之師』(過去の経験を忘れずに、将来の教訓とする)ということだ。歴史の事実に真剣に対応し、プラスの教訓を汲み取り、これにより後代を正しく教育してこそ初めて日本自身にとって有益となり、中日友好関係も順調に、恒久的に発展していくことができる」。
当時の日本の内閣官房長官は談話の中でこのように述べている。「日本政府は日中共同声明の中に、『日本が過去に戦争によって中国の国民にもたらした重大な損害と責任を痛感し、深い反省を表明する』と書き入れた。この認識は現在も少しも変わらない」「日中共同声明のこの精神は、日本の学校教育や教科書検定において、当然尊重されるべきだ。日本は、中国などの国からの、日本の教科書のこうした問題に対する批判に十分に耳を傾け、政府が責任を持って是正していく」。
1986年には、右翼による教科書修正がピークに達し、日本国内や国際社会で非難と抑圧が起こった。90年代半ばには、右翼の学者らが「新しい教科書をつくる会」を発足し、教科書修正の新たな潮流を巻き起こし始め、現在に至っている。
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